貝川長乗郷塔(かひかはながのりきようのとう) 同(木代)村にあり。
方丈余の石なり。表に像を鐫る。
貝川三位長乗卿は木代・切畑等開発の人なり。









貝川三位長乗の墓(かいかわさんみながのりのはか) 豊能町桐畑ケイレン
長乗は鳥羽天皇の時代に家士36人を率いてこの地に来て、木代・切畑・大円の三ケ村を開発した。
字鍬ケ坂はその開発に用いた器具を埋めた所で、没後にここに葬られたと伝わる。
本朝人物篇に「従三位藤原朝臣貝川長乗、大職冠鎌足公十八世之孫貝川乗政三男、善騎射、任検非違使兼佐渡守、康治二年六月二十四日卒、墓在摂津国能勢郡木代村」とあるので、言い伝えのように切畑・木代・大円の三村を開発して、ここに葬られたのだろう。
木代村に墓があると記述があるのはこの3村を昔は木代圧と呼んでいたからだ。(大阪府全志)




貝川三位(藤原長乗)の墓
石材:花崗岩 貝川三位の墓と伝えられ、一石造笠塔婆で10m2の塚の上に立ち、宝珠、笠の流れ、軒反りなどは鎌倉時代の形である。 12世紀初めに木代に来住、大円を拠点に木代の荘(切畑・木代・余野)開発の祖といわれている。
  平成4年12月   豊能町教育委員会



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