築島(つきしま) またの名、経島ともいふ。今の兵庫津の地なるペし。
平相国遷都の下心ありけるにや、応保元年二月上旬、阿波民部重能奉行として、畿内の課役五万人を促して、塩打山を崩して、海面二十余町を築き出だす事両度なるに、築き畢れば土石漂流れて元の海となる。その時、陰陽博士阿倍泰氏に命じて、考えさせたまふに、泰氏卜つて日く、竜神この海底に住んで、陸地と成る事を惜しむなり。これを宥めんとならば、三十人の人柱を沈めて、その上大小の石に一切経を書写し、海底に蔵めて、この島を築かしめたまはば、速やかに成就すべき由を申す。ゆゑに、生田森に新関をすゑて、老君を論ぜす往還の旅人を擒とす。近隣の村民これを欺きて訴ふれば、兵庫の者はこの難を免る。今に諺に、兵庫の者なり御免あれ、とはこの由縁なり。
やうやく三ヶ月にして三十人を擒として人柱に沈むに極まれば、その親族群れ来たりて、悲嘆市上に喧し。平相国もこれを悼みたまひて、廷ぶる事五ヶ月に逮べり。ここに讃州香川の城主大井民部の嫡子松王小児。今讃州香川郡に苗孫あり。中川氏と改む。年十七なるが進み出でて日く、願はくぼ臣一人を沈めて三十人を赦したまはば、竜神も我が志願を感応あらんと、再三望みければ、平相国大いに嘆じて、つひに応保元年の末に島成って、築留に経石を入れ、また石棺に松王を入れて海底に沈む。竜神も感応ありけるにや、築島の功なれり。その沈めし所に、寺を建てられける。今の築島寺これなり。
『平家物語』に経石を沈めし事ありて、松王小児を人柱にしづめし事見えず。









松王小児入海之碑  神戸市兵庫区島上町2-1-3 来迎寺

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