○庚申堂(こうしんどう) 南大門の南にあり。
青面金剛<三申>梵天帝釈<四鬼>薬師如来・如意輸観音・地蔵菩薩等を安置す。庚申の日毎、詣人大いに群をなせり。
文武帝御宇大宝元年正月七日庚申の日、当寺住侶正善院民部僧都毫範感得ありし霊場なり。されば本朝最初の庚申とす。


庚申堂(こうしんどう)  大阪市天王寺区堀越町2
今から1300年ほど前、文武天皇の御代(697〜707・飛鳥時代)、わが国にはいろいろ疫病が流行り諸人が多いに悩み苦しみ、良医の薬や高僧の祈りを求めるなどさまざまなことをおこなったが何の効験もなかった。
この頃、津の国四天王寺に僧都・豪範という貴い御僧があって、慈悲の心深く、広く人間の悩みを助けようと天に祈りつづけていた。
そしたら天宝元年(701)庚申年の正月7日庚申の日に、年の頃16才くらいとおもわれる一人の童子が現れ、「帝釈天が、汝の人の悩みを憐れむ至誠を感じて、除災無病の方便を与えよ、との命により天から降ってきた」と告げた。
豪範が、その時感得した青面金剛童子を祀ると、さしもの疫病も退散したという。


本堂 本尊:青面金剛童子
昭和20年3月13日の空襲で焼失し、万博の法輪閣を昭和46年に移築。


三猿堂





九頭龍大権現


聖観音像の背後に古い庚申塔が並んでいます。
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