○玉出島(たまでしま) 住吉社頭にあり。『歌枕名寄』に所しれずとあり。
社伝に云ふ・神宝満珠を蔵め祀る所なり。ゆゑにその地を指す所を当社の神秘とす。島は海の中にのみあるをいふにあず。一区なる所をいふ名なり。国中にて山川などのめぐれる地にもいへり。平安の塩釜の旧跡籬島も海にあらず。島はしまる。しじまるなるペし。
 『新拾遺』  君がため玉出の岸に和らぐるひかりのすゑは千世もくもらじ    津守国平
 住吉の神木の中に松を第一と賞ずる事は、人皇十代崇神天皇の御時、三柱の大神高天原より天降りたまひ墨江浦に影向の砌、三本の松忽然として一夜に生ず。これすなはち大神影降の瑞木にして永く住吉に鎮座したまふ先表なり。その時、天皇使を墨江に遺はしてその霊瑞を見せしめここに祭りたまふ。これよりその松に木綿を掛け注連縄を引く事はこの緑なり。今いはゆる影向石はこれその地なりとぞ。『住吉勘文』云ふ「住江松林の下に久しく風霜を送る」とはこれなり。自爾このかた、あるいは和歌に詠じ、あるいは詩に賦し、住江の松を賞賛せずといふ事なし。されば『古今』の序にも、高砂住のえの松もあひおひのやうにおばゆと良かれ、また『万葉』にも、
 清江乃木笑松原遠神我王之孝行処
 そもそも千歳の松は、『嵩山記』に、その精変じて青牛と化しまた伏亀となる。その実を喰へは長寿を得る。また松樹三千歳なるものはその皮の中に聚脂あり、状竜のごとし。号けて飛節之といふ。あるいは茯苓竜骨を生じ、丁固が夢、玄弉が東枝西桂、始皇の封、わが朝にも菅家の愛樹、紀納言の辞などありて、その徳牧挙すべからず。
 『千載』   古りにける松ものいはば問ふてましむかしもかくやすみのえの月   右大臣
 『続千載』  住吉の松も花咲く御代にあひて十かへり守れ敷島の道        権中納言為教
  同     君が代の久しかるべきためしにはかねてぞうゑし住吉の松       津守氏人
 『風雅』   こぎ出でてむこの浦より見渡せば波間にうかぶ住よしの松       従三位行尹
  家 集   すみよしの松のひまよりたがむれは月落ちかかる淡路鳥山      源三位頼政
 いにしへより岸姫松と称する事は一樹に非ず。すべて住江の岸の浜松をいふなるべし。姫は讃美の詞なり。あるいは大神秘蔵置きたまふ義ともいふ。
今住吉街道の東の岸、岡山なる所にあるをむかしの岸の姫松の残りなりといふは後人附会の説なり。惣じて祉頭の松をいふ。

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