如意山善福寺(によいざんせんぷくじ) 木代村にあり。真言宗。
本尊薬師仏 長六尺。脇士、日光・月光・十二神将。ともに聖徳太子の御作。
聖徳太子像 御自作。御厨子は当国高槻城主永井外記侯の母公の造営にして、荘厳美麗なり。
鎮守八幡宮 本堂の南にあり。
痘瘡神 八幡杜の南にあり。ここに祈る時は痘瘡の疫を免るるとぞ。
名木桜 当寺境内にあり。弥生の盛りには花香芳しく幽艶なり。世に西行桜と賞ず。
当寺は初め推古帝の御頼にして、上宮太子の草創なり。
その時は伽藍疑々として僧坊多し。後世破壊して、今坊舎三ヶ院のみなり。
古仏の毘沙門・不動尊・鉄塔等今にあり。
毎年十月御玄猪調頁の時は院主出でて浄の御加持をし奉るなり。
また旱の年は雩の為に本尊および聖徳王を開扉すれば、たちまち膏雨降るといふ。






善福寺(ぜんぷくじ)  大阪市天王寺区空堀町10-1
真言宗大明王院末寺 如意山 宝亀9年(778)開成皇子の開基と伝えられる。
本尊薬師如来、豊能郡東能勢村木代にあり、小玉神社の別当であった。
明治7年(1874)に無住となったが、同年10月から島下郡福井村神龍寺住職の兼務となり、1883年4月からは川尻村法輪寺住職の兼務となった。
明治42年(1908)1月に廃寺となっていた鏡如寺に移転して現在に至る。
鏡如寺は宝暦2年(1752)高野山の僧法道が弘法大師を本尊として開いた寺で、大師像が大坂城代土井大炊頭の信仰篤く土井殿大師と呼ばれているうちに訛ってどんどろ大師と呼ばれたといわれる。
善福寺が鏡如寺の本尊弘法大師を像も引き取って安置したので、どんどろ大師の名も継いでいる。



弘法大師像 本尊を象る。



日羅 勝軍地蔵尊


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