法輪寺(ほうりんじ) 同(川尻)村にあり。光明山と号す。真言宗。開基は勝尾寺の證如上人なり。
本尊薬師仏 弘法大師の作。長二尺七寸ばかり。
当寺より竜王石の香水にて押したる弘法大師の書したまふ牛王宝印を出だす。







法輪寺(ほうりんじ) 豊能町川尻592
高野山真言宗 光明山 遍照院
寺伝によれば、天平宝字4年(760)開成皇子の草創とす。
淳和天皇天長5年(828)弘法大師が大黒天神を刻み「出世大黒天」と命名。
斉衡3年(856)箕面・弥勒寺第4世座主証如上人が再興。
宝暦年間(1751~1763)火災に遭い、享和元年(1801)湛龍上人が再建。




薬医門



本堂 本尊:阿弥陀仏 現在の本堂は文化4年(1807)明覚上人の建立という。



観音堂
明治5年(1872)7月、明治政府は無檀・無住の寺院の廃止を命じ、川尻にあった3つの堂が廃堂となった。
その仏像仏具は法輪寺に合併し、うち観音堂のみ境内に移設された。



鐘楼



法輪姫の塔(かわしりほうりんひめのとう)
3基の宝筐印塔は年代も異なり寄せ集め 中央の塔は相輪上部を欠いているが、当地の代表的なものである。基礎側面3面にある格狭間は側線が三弧の非常に珍しい形である。笠の隅飾りも三弧の丁寧なつくりである。
基礎面の銘文は次のとおりである。
 「敬白 法輪寺 文和二二年乙未三月十一日」(1355)
左塔の基礎背面には、「願主、沙弥西阿、大□尼女」とある。この塔の笠の隅飾りも三弧になっており、その輪郭内に渦巻文があるのも珍しい例である。造立は南北朝時代である。どの塔が、「法輪姫の塔」か、また姫が如何なる人であるかは不明である。
「□」は岡の異体字である。
   平成5年11月   豊能町教育委員会

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