神撫山禅昌寺(じんぷさんぜんしようじ)同村の北、山手にあり。鷹取山と号す。禅宗済家。
本尊聖観音 安阿弥の作。長二尺ばかり。
開基正続大祖禅師 月庵宗光和尚といふ。往昔延文年中の草創なり。
伝へ云ふ、宗光和尚は美濃国の人なり。姓は江氏にて、幼少より峯翁に随身し、一年唐土黄檗山へ登り臨済の宗意を授かり、帰朝の後当山に来たり坐禅する事日あり。時に神入来たつて顔面を撫づる。翌日出峯へ攀登れば、帝釈天の神祠あり。これ霊現ならんと帝釈神撫山と号し浄刹を営む。宗光和尚は、老年但州黒門大明寺に入って康応元年三月二十一日寂す。
方丈画 狩野永徳の筆なり。城州伏見豊太閤の御城よりここに移す。秀吉公、播州三木の城を攻めらるる時、この寺大いに荒廃す。御治世の後、上聞に達し再興の御教書を賜ふ。
鎮守 熊野権現を祭る。一説には神功皇后三韓帰朝の御時ここに至り、石座にあつて巌を撫ぜたまふゆゑ神撫山といふ。ここにこの神を祭る。
木犀 仏殿の前にあり。開基和尚唐土より将来しけるとなり。『呂氏春秋』に日く「桂の一能なり。巌嶺の間に叢生す。これを巌桂と謂ふ。俗に呼びて木犀と為す」。
『南方草木状』に日く「江南の桂、八、九月花開く、子無し、これ木犀なり」。
丹楓 大樹にして枝葉繁茂せり。秋の末紅錦のごとし。遠近釆たって目を歓ばしむ。
   本尊は釈迦か阿弥陀か紅葉かな    播磨別府瓢水




禅昌寺(ぜんしょうじ) 神戸市須磨区禅昌寺町2-5-1
臨済宗南禅寺派 神撫山
延文年間(1356~60)月庵禅師の創建。足利幕府は寺領36石を寄進した。
織田信長・荒木村重よりも諸役免除の沙汰を受けたが、天正8年豊臣秀吉の三木・別所長治攻めの兵火で焼失す。
後、桃山御殿から豊国亭を移して方丈とした。
明治12年(1879)に焼失し、大正4年(1915)に再建された。


山門 左甚五郎作と言われている。
開基月庵禅師手植えの楓の古株があったことから、「楓寺」とも呼ばれ「紅葉の寺」として親しまれている。

    
 友まつと見えず紅葉に一人かな  芭蕉   本尊は釈迦か阿弥陀か紅葉かな   瓢水


本堂 本尊:十一面観音


鐘楼


鎮守堂 本尊:證誠菩薩 

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