善福寺(ぜんぷくじ)中村にあり。妙法寺より十町ばかり北なり。真言宗。
本尊矢拾地蔵 長五尺二分。建武年中、足利尊氏公兵庫合戦の時、この本尊を信仰ありしゆゑ、応験ありて一法師と現れ、敵より射る矢を宙にて拾ひ味方の勝利としたまふゆゑにこの名を呼びけり。
旧地は兵庫南浜魚御堂なり。
むかしこの本尊に、夜毎に竜灯を海中より魚の頭に戴き献じけるとぞ。ゆゑに魚御堂の名あり。また天火堂ともいふ。
また兵庫能福寺の観音も魚御堂の本尊と称す。いづれか是非分明ならず。





慶雲寺(けいうんじ) 神戸市須磨区車字松ケ原532
臨済宗南禅寺派 海蔵山 
善福寺来歴事によると、本尊は矢拾地蔵と称し、もと兵庫津の魚御堂にあった。
湊川の合戦で足利尊氏の陣へ飛び来る矢を拾う僧が現れ、尊氏軍に勝利をもたらした。
この僧こそ尊氏が日頃信仰している地蔵の化身に違いないと、建武3年(1336)兵庫下庄車村を寄進。
その後、赤松範資が車村に一寺を建立して地蔵を移し、海蔵山善福寺としてその子の彦智を開山とした。
一方、慶雲庵は永徳年中(1381~84)明室の創建と伝え、本尊薬師如来。
明治20年(1887)臨済宗善福寺・慶雲庵が合併して慶雲寺と改める。
残念ながら矢拾地蔵は昭和28年の出火で焼失し、新たに造仏された地蔵は地蔵盆に開帳している。


本尊:釈迦如来


毘沙門堂
妙見大菩薩 御所童子(右側)秘仏
文化年間駒ヶ林住人小河三河介の女御所退出の砌、永きに至る其の功を愛でられて下賜せられ、実家の魚臭を嫌ひ給い神託ありて当山にて司祭する事となれり。進学登龍の霊験は宮中時より伝承せらる。
毘沙門尊天(中央)
享保年間当山中興日翁禅師京都鞍馬より勧招除災除難開運の霊験顕かな守護仏として古来民衆の尊崇厚く其の霊験記は数多く語り伝へて今日も尚香煙跡を断たず。
大弁財尊天(左側)
開山愚渓禅師海蔵山善福禅寺の守護神として竹生島大弁財尊天を勧請せられ正長二年上り五百四十年授福と三宝の守護神として民衆の信仰益々厚き福の神なり。


鐘楼  梵鐘 平成15年7月吉日  
地上に置かれている梵鐘は昭和30年3月21日鋳造。

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