夢野清水(ゆめののしみづ) 夢野村山中にあり。
相伝ふ、この他能登守教経(のりつね)の陣所なり。すなはちこの清水を陣場の井といふ。
『摂陽群議』に、『日本紀』を引書して、闘鶏野(つげの)の氷室と称す。
仁徳紀に日く「額田大中彦の皇子闘鶏に猟したまふ。山の上よりこれを望みたまふ。野中を膽(み)るに物有り。
その形廬(いおり)のごとし。使者を遣はして視せしめたまふ」とあれば、この夢野は山中にして野中にあらず。
この闘鶏野の氷室も大友村の辺なるべし。
また皇子、難波高津宮より十里余も遊猟に出でたまふ事なし。
今この清水を汲んで湯とし、この所に浴屋を建てて、遠近の病者ここに籠りて入湯す。
近年この事始まりで、人多く集まる。これを氷室の温泉と称し、清水を氷室池といふ。
宗祇(そうぎ)『方角抄』(ほうがくしょう)にも「夢野は兵庫より北、湊川の辺」とあり。これも鹿の故事の名所と思へり。
一説に云ふ、『方角抄』は宗祇の作にはあらざるとぞ。






氷室旧跡(ひむろきゅうせき) 神戸市兵庫区氷室町2-15-1  氷室神社 裏
額田大中彦皇子が、この地に遊猟に来た時、野中に庵を見付けた。
大山主に尋ねると「氷を冬の間にとって置き萱草で包んでおくと、夏になってもこの氷を用いる事が出来る」と答え、
皇子は難波高津の宮の仁徳天皇に氷を献上したという。

夢野清水をたたえていた岩屋。昭和37年の土砂崩れで一部損壊している。
寛政から享和のころは夢野の清水を沸かして、遠近の人に入浴させ、氷室の湯と云われた。



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