行平卿佗住蹟(ゆきひらきようわびすみのあと) 東須磨・西須磨の間、字を菖蒲小路といふこれなりとぞ。左遷の事、国史に見えず。
在原行平脚は、平城天皇の皇子、一品阿保親王の一男なり。
天長三年に在原の姓を賜ふ。承和七年より次第に昇進し、斉衡二年正月に四位因幡守に任じ、四年に兵部太輔に叙し、その後、貞観十二年二月十三日参議に任ず。年五十三。同二十六日、左兵衛督になる。
『伊勢物語』に「亡の男の兄もゑふのかみたりけり、その家の前の海のほとりにあそびありきて」と書きけるは、この時の事なり。
元慶六年正月に中納言に叙し、年六十五。同八年正三位民部卿。仁和元年に按察使。同三年四月十三日、致仕となり、つひに寛平五年七月二十四日薨ず。年七十六。

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