頼政薬師(よりまさやくし)前田の西、須磨寺の入口にあり。寺号を浄福寺といふ。本堂の傍に鐘堂あり。
近年再興す。この寺も前田氏の抱所なり。
本尊薬師仏 聖徳太子の御作。長一尺ばかり、脇士十二神将は尼崎先領主青山侯の寄附なり。
この地は、むかし、諸堂巍然たり。
『須磨記』に、上野の岡といふ所、何がしの寺あるよしにて、鐘さえかへりて耳頭うれひを催せりとは、この寺の事なりとぞ。
その後、破壊に及びしを、久寿の頃、源三位頼政重興せり。ゆゑに名とす。
例年三月、夜鬼踊といふ事あり。追儺のごとくなる鬼の形をして、村民ここにをどり狂ふなり。



浄福寺 神戸市須磨区桜木町1-4-6
頼政薬師寺 寺号を浄福寺(俗に頼政薬師寺)と言う。浄福寺は、この地西須磨の旧家前田氏の創立と伝えられ、御本尊は、薬師如来。聖徳太子の御作で像高は、1尺ばかり。脇詩は十二神将。
久寿の頃(1154~1155)源三位頼政が再興したことから、俗に頼政薬師と言われている。そして、また、本堂と十二神将は、尼崎藩青山氏の寄付と伝えられている。当時西須磨地区は尼崎藩であった。
明治以前浄福寺では、毎年1月8日薬師統人といって、この里の人々が集まる儀式があり、座敷に松竹梅の三宝をかざり、その上座には、薬師如来をまつり、全員がかみしもを着用し謡曲で興をそえられた。この儀式に参加することによって始めて、村人として、その資格が認められた。夜には、鬼追い式がおこなわれ、鬼踊りと称して仮面をかぶった鬼が里人を狂ったように追い回したという。 この鬼追い式は、非常に有名で、当時の須磨の一番大事な祭りであったと言われている。最近は、形を変えてこの伝統行事が受け継がれ、西須磨協議会会員が中心となって、同じ1月8日に、西須磨地域の繁栄と同地域に住む人々の家内安全を祈願されている。
浄福寺は、平成7年1月17日午前5時46分、当地域を襲った阪神・淡路大地震により倒壊し、平成11年11月に再建された。


本尊:薬師如来


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