淀継橋(よどのつぎはし)直野継橋の一名とも、また駒ヶ林村にありともいふ。すべてこの辺の惣名を真野の浦といふ。
  『万葉』   真野の浦のよどの継はしこころゆもおもふやいもが夢にし見ゆる     吹黄刀自
  『続古』   まのの浦の淀のつぎ橋つきもせずつらしと人を聞きわたるかな     経 明
  『金葉』   しろらめや淀の継橋よとともにつれなき人を恋ひわたるとは     長安卿母
  『続拾遺』   年へぬる注の継橋夢にだにわたる中とや絶えもはてなん     光明峯寺前摂政太政大臣
  『真木』   絶えねただみるめもしらぬまのの浦にわたすかひなき淀の継橋     隆 祐
  『井蛙抄』云ふ、
   真野の浦の淀の離橋は     摂州
   真野のはぎほらは     大和
   真野の浦、まのの入江は     近江
   真野の萱原は     陸奥
 かくのごとく混乱もつとも分別すべき事なり。また、とよの国まのの浜辺のまきご地と読みたるは豊前の国なり云々。
まののはぎはらは大和にあらずといふ事前に見ゆ。
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