薬仙寺(やくせんじ) 清盛塔より南、二丁ばかりにあり。
医王出と号す。時宗。坊舎七宇。初めは天平年中行基菩薩の開基なり。
本尊阿弥陀仏(聖徳太子の御作。長三尺五寸。往古の本尊は薬師仏にして、天台宗なり。また開基より三十五代表か坊に王らて、薬師仏土中出現の霊仏ありも今も安置す。
観音堂(本堂の後にあり。むかし聖武天皇御悩平癒のため、稽文旨(けいもんし)・稽首薫(けいしゅくん)に命して、彫刻なさしめたまふ長二尺六寸の尊像を安ず。その後、不動尊・毘沙門天の二体と初瀬寺(はせでら)の霊験記二巻を持来せる老翁、忽然として行方なし。すなはち、これを脇士としてここに安置す。老翁は長谷の観音の応験なりとぞ人々申しける。
霊泉 観音堂の東にあり。
当院は、建武年中、後醍醐帝隠岐国より還幸の御時、御不予ましますによつて、この霊泉をもつて御薬を調進し奉るに、たちまち御平癒おはします。ここによつて、薬仙寺の号を賜ふ。
什宝に、後醍醐帝三十二回の聖忌に、国阿上人書写したまふ大般若経理趣晶一巻あり。表具は蜀紅錦なり。


薬仙寺(やくせんじ) 神戸市兵庫区今出在家町4
天平18年(746)行基菩薩が開基。はじめ法相宗、のちに天台宗、その後、南北朝時代に国阿(こくあ)上人により時宗に改められる。


本堂 本尊:阿弥陀仏


後醍醐天皇御薬水薬師出現古跡湧水

HOME > 巻之八 八部郡
inserted by FC2 system