若狭守経基墓(わかさのかみつねとしのはか) 佐比江橋の北にあり。側に稲荷祠あり。
平相国第四の舎弟修理太夫経盛の次男なり。但馬守経政の弟にして、無官太夫敦盛の兄なり。
平経俊の塚(たいら の つねとし) 鎮守稲荷神社境内
若狭守経俊は平清盛の甥で、一の谷の合戦に華と散った平の敦盛の兄である。
湊川の合戦で、鵯越の守備についていたが、戦利あらず、長田の森を経て西出の浜へと落ちのびてきたところを源の範ョの郎党名和太郎に追いせまられ、勇ましくも組打となり、当地で落命した。
時に寿永3年2月御歳わずか18才であった。
鎮守稲荷神社(ちんじゅいなりじんじゃ) 神戸市兵庫区西出町13
「ちじみさん」として西出町の住民に親しまれている。
狛犬
拝殿 祭神:宇迦御魂大神