薩摩守忠度塚(さつまのかみただのりつか) 駒ヶ林の中にあり。塚上に五輪の石塔を居ゑたり。
異本『平家物語』には、忠度唯一騎明石をさして落ちられけるに、岡部六弥太忠澄(ただずみ)追ひかけければ、取つてかへしひき組んで討たれたまひしよし見えたり。明石に墓のあるべき証と覚ゆ。土人云ふ、明石にあるは腕塚なりとぞ。
そもそも忠度卿は、平相国より第六の舎弟にて、一ノ谷の西の手の大将軍なり。文武両道、ことには歌道の達人にて、若冠の時は熊野の山中に育ちて大刀の早業『六韜』(ろくとう)の奥旨を貯へたる名将なり。忠澄よい首討ち奉りたりとは思へども名をしらさりける。箙(えびら)に付けられたる短冊を取りて見ければ、旅宿花という題にて、 
  行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよひのあるじならまし 忠度 
と書かれたるゆゑにこそ、薩摩守とはしりてけれ、と『平家物語』に見えたり。
また、岐蘇(きそ)の義仲、平安城に攻め人らむとせし時、平家の一族、安徳帝を奉じて西海に落ち行かれしに、薩摩守途より引き返して、五条三位俊成(しゆんぜい)卿の許におはして、一門の運命けふはや尽き果て候、撰集の御沙汰有るペきよし承って候ひしはどに、一首なりとも御恩を蒙らふとて、百余首書きあつめられたる巻物をよろひの引きあほせより取り出だして奉らる。俊成卿、かくるわすれがたみをたまはり候上は、ゆめゆめ疎略を存ずまじう候、さてもただ今の御わたりこそ、情も深うあはれもことに勝れてこそ候へ、と宜へは、薩摩守、かばねを野山にさらさばきらせ、浮名を西海の波に流さば流せ、今は思ひ置く事なしとて、馬に打ちのり胃の緒をしめて落ちられし。
その後、『千載集』に、故郷の花といふ題にてよまれたりけるを、読人しらずとて入れられたり。
  きざ波や志賀の都はあれにしを昔ながらの山ぎくらかな
これも『平家物語』に見ゆ。近頃筑波の石山漪 が、忠度卿を詠じたる詩に
 江山天暮宿誰家   江山天暮れて誰が家にか宿る
 客少芳非棲乱鴉   客少なくして芳非乱鴉の棲む
 竜去六軍行幸日   竜は去る六軍行幸の日
 歌成千載故郷花   歌は成る千載故郷の花
 無辺風雨摧瓊樹   無辺の風雨瓊樹を摧き
 一片春雲惓赤霞   一片の春雲赤霞を惓く
 唯有須磨浦上月   唯だ須磨浦上の月のみ有り
 松涛依旧落平沙   松涛旧に依りて平沙に落つ



腕塚堂 神戸市長田区駒ケ林町4丁目
神社から少し西、建て込んだ民家の細い路地にあります。一の谷の合戦で敗れた平家の大将、平忠度が討ち取られ、その腕が埋められたとされるお堂です。


胴塚 神戸市長田区駒ケ林町8丁目  こちらは平忠度の胴を埋めたところ。
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