永延元年(987)九月第六十代一条天皇の御代、須磨の浦の真南に当たる紀州熊野の大神を勧請し、妙法寺川沿岸の大手・東須磨・板宿・野田・駒ヶ林の
五ヶ村の氏神として創祀される。
寿永元年(1182)須磨の地に御遷都せられ、徳川の代に須磨聖霊大権現と称せられた。 明治初年證誠神社と改め、明治十四年郷社(須磨区内唯一の神社)となり、須磨地域一円の守護神としてその御神徳を崇敬せられ現在に至る。 当神社の祭日には必ず少し雨が降るため、「しょぼしょぼ権現降る長田、生田祭りは降らぬ事無し」 と今もなお言いならわされている。 神戸市内屈指の古社である。 |
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