桂尾山勝福寺(けいびさんしようふくじ) 大手村権現祠の奥にあり。古義真言宗宗。坊舎五字。
本尊聖観音 弘法大師の作。長二尺五寸ばかり。脇士、不動・毘沙門。
開基證楽上人 一条院御字永廷二年、熊野権現の示現を蒙りこの寺を建立したまへり。
什宝に弘法大師の錫杖、築島供養の本尊、十六善神像、同じく幡十四流、弘法大師の筆の両界曼荼羅、呉道子の筆の十六羅漢、顔輝の筆の釈迦・文殊・普賢、唐本『大般若経』平相国の寄附なり、武蔵守知章の甲冑、竜の玉、その外数々あり。








勝福寺(しょうふくじ) 神戸市須磨区大手町9-1-1
真言宗高野山如意輪寺末 桂尾山 福原三十三箇所第10番札所
高取山脈の鹿松峠に人鬼出没して行人を悩ましていたのを、藤原伊尹三男・英雄丸が勅命により證樂上人と称して山麓に庵を結び勧行すると、人鬼は姿を消した。上人はこの地に堂宇を建て、熊野三社権現を勧請。これが現在の證誠神社である。
このことに感心した一条天皇が勅使平兼盛をして弘法大師一刀三礼聖勧世音菩薩に数多くの寺録を下賜。
七堂伽藍、36坊の大寺院であったという。
平清盛が寄進した金銅製密教法具が重要文化財となっている。
観応の擾乱(1350~1352)では高師泰が乱入して堂宇を焼失。この折、足利尊氏と家従23人が松岡城にこもって一時は自害を覚悟し、この堂がハラキリ堂と呼ばれた。尊氏・直義の和睦が成立して尊氏は京に上るが、途中で高師直・師泰は討たれる。
明治32年(1899)再建するも昭和13年(1938)の阪神大水害で倒壊。平成20年(2008)再建。


山門 韓国の寺院に見る一柱門(世の中の煩悩を払って一心に仏法の世界に向かう)であろうか?


本堂 本尊:聖観世音菩薩


鐘楼 梵鐘は延宝2年(1674)の鋳造。


洞窟の不動明王


桂尾山勝福寺八十八ケ所
勝福寺の裏山が「太平記」に見える再度山城主・赤松範資の築いた松岡城とされる。




HOME > 巻之八 八部郡
inserted by FC2 system