差方塚(しやほうづか) 荒田村の東北、田の中にあり。塚上に古木を植ゑたり。新都九重の条法、これを極とし、ここより計る。
治承四年六月九日、新都の事始として、上卿官人達、和多の松原西の野を点撿して、九重の地を割らせけるに、上は一条より下は五条までありて、それより下は無かりけり。土御門宰相道親卿申されけるは、唐土には三条の広路を開いて十二の通門を立つと見えたり。いはんや五条まであらん都に、などか内裏を立てざるべきと公卿一同に申されしかは、平相国不興にぞなられけりと『平家物語』に見ゆ。




差方塚の碑
地誌に荒田町3丁目のもよ営林署の構内と仲町2丁目19番の民家の庭にあったと言われるが、戦後行方不明となる。
平清盛の福原遷都にともない、都を設計する測量の基点とされたという。

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