須磨里(すまのさと) 旧は[王取][王磨]と書す。兵庫津より西一里半にあり。西須磨・吏須磨・浜須磨の三村あり。
もとは今の西須磨一村にて、東須磨はいにしへ辻堂村といふ。上古は山陽道の駅なり。
『延喜式』に出でたり。今は農家のみにして、海浜なれど漁家もなし。
『古今』 田むらの御時に事にあたりて、つのくにのすまといふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人につかはしける
わくらばにとふ人あらばすまの浦にもしほたれつつわぶとこたへよ 在原行平朝臣
『源氏』すまの巻
かのすまは、むかしこそ人のすみかなどもありけれ、今はひと里はなれ心すごくて海士の家だにまれになど聞きたまへど、人しげくひたたけたらん住居は、いと本意なかるべし。さりとて都を遠ざからんも故郷おぼつかなるべきを、人わろくぞおぼしみたり。万の事、きしかたゆくすゑ思ひつづけたまふに、かなしきこといとさまざまなり。
ちからなう入りかかる日やすまの秋 涼 冤
月を見ても物たらはずやすまの夏 はせを
ほろほろと雨そふすまの蚊遣かな 瓢 水