礒馴松(そなれまつ) すべてすまの浦の浜松をいふ。諺に云ふ、行平卿帰洛のとき、余波を惜しみて松枝ことごとく都の方へ靡きしといふ。
『広異記』云ふ「陳の玄弉といふ抄門、西域に往かんとて、霊岩寺の松一樹を見て、手をもつてその枝を摩でて日く、吾西に去りて仏教を求めば、汝西に長すべし。去るに及んで、たちまち西に指す事数丈なり。
一年、その枝東に転ず。弟子等の日く、吾師近日帰りたまはんとて、これを迎へば、はたして還り米たる」。この霊松にも比せんや。
『続後拾』物名
  すまの浦や渚にたてる礒馴松しづえは波のうたぬ日ぞなき   俊 頼




磯馴松
松風村雨堂にあり。
謡曲「松風」と松風・村雨堂に磯馴松
謡曲「松風」は、宮廷歌人在原行平が須磨に流された折、姉妹の海士女(あまおとめ)を愛した話を基に、女心の一途な恋慕や懊悩の姿を幽玄の情趣で表現された叙情豊かな名曲である。
 須磨の浦で、いわくあり気な松を見た諸国一見の旅僧は、海士女 松風・村雨の旧跡と聞き念仏して弔う。乞うた宿の二人の乙女は「恋ゆえに思い乱れ世を去った松風村雨の幽霊である」と告げ、形見の烏帽子、狩衣を着て物狂おしく舞い、妄執解脱の回向を請うと、二人の姿は消えて、ただ松に吹く風の音が残るばかり・・・。旧跡を訪うた旅僧の夢であった。
 行平の謫居跡に彼を慕う姉妹が結んだ庵の跡が「松風・村雨堂」と伝えられる。別れに臨み行平が手ずから植えた「磯馴松(いそなれまつ)」は堂の近くにあり、古株のみが残って昔を語っている。
                  謡曲史跡保存会


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