白滝弁財天祠(しらたさぺざいてんのやしろ)  同村の里長粟花落氏が家園にあり。
この家の祖先白滝姫を祭るとぞ。
粟花落井(つゆゐ) 社前にあり。長さ四尺、幅三尺、深さ一尺、底白砂、常に水なし。例年五月入梅の節、粟の花落つるを期とし、この地より清泉涌き出づるゆゑに、粟花蕗を家人の氏とす。毎歳不変に涌出するにはあらず。世にいふ乾入梅には涌く事なし。また入梅穴世に多し。 相伝ふ、粟花落氏の祖先山田郡司真勝と云ふ人、淡路廃帝の時朝廷に仕へ、その頃、横萩右大臣豊成公の息女白滝を恋恭し、千束の文、錦木の数つもりける。文の奥に、
    水無月の稲葉の露もこがるるに雲井をおちぬ白滝の糸
  白滝姫近し、
    雲井からつひにはおつる白滝をさのみな恋ひそ山田男よ
帝これらの歌を叡聞あつて、その情の切なるを憐みたまひ、白滝姫を真勝に天国の名剣を副へて賜はりけり。かくて三歳を過ぎて、白滝姫、一男子を産んでつひに死ぬ。
すなはち、その家の東境に葬りて廟塔を建てけるに、粟の花落ちける頃五月雨なれば、この霊前より名泉涌き出づる。天聴に達し、詔有つて、白滝姫を弁財天と崇め氏を粟花落とぞ賜はりける。 出生の子は成人の後、左衛門佐真利とめされける。その後、鳥羽上皇この丹生山田へ行事の時、粟花落井にて、
    丹生の山くるすの花は咲きにけりわきて流るる粟花落の井にして
  按ずるに横萩豊成卿は恵美押勝が兄なり。押勝叛逆の時筑紫へ左遷せらる。この真勝・白滝姫もみな親族なればここに隠れ去りしが、豊成卿の息中将姫も雲雀山へ蟄居せられしなり。


栗花落の井(つゆのい) 神戸市北区山田原野
丹生山田の住人、矢田部郡司(やたべこおりのつかさ)の山田左衛門尉真勝(さえもんのじょうさねかつ)は、淳仁天皇(註 733-765 第 47 代天皇(在位,758-764))に仕えていたが、左大臣藤原豊成の次女白瀧姫を見初め、やみ難い恋慕の情に苦しんだ。真勝の素朴で真面目な人柄に感心された天皇は自ら仲立をして夫婦にされたので、真勝は喜んで姫を山田へ連れ帰ったという。才色優れた白瀧姫と真勝との幸福な生活は、結婚三年にして男の子一人を残して姫は亡くなってしまった。真勝はその邸内に弁財天の社を建て姫を祀った。毎年五月、栗の花が落ちる頃、社の前の池に清水が湧き出て、旱天(ひでり)でも水の絶えることがなかったという。それにより姓を「栗花落」と改め、池を「栗花落の井」と名付けたという。

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