西月山真光寺(さいげつさんしんこうじ) 逆瀬川の南にあり。
時宗 当寺は、仁明帝の御宇、沙門恵萼(しゃもんえがく)、入唐して宋王に謁し、大悲の尊像を授り、すでに帰帆の時、風波穏やかにして、日幾ならずして、当津和田御崎に至る。
ここにおいて、櫓械をめぐらせども乗船揺かず。恵萼思惟して、これすなはち大悲有縁の霊地なりとて、つひに当院を建立して、観世音を安置す。
建治2年、相州深沢の元祖知真一遍上人、ここに止住して中興開祖となる。知真は予州河野通広の子なり。
建長年中、薙髪して熊野権現の示現を蒙り、光勝の行を慕ひ、念仏をもつて四衆を化度し、60万人決定往生の札を弘め、勅を歴て日本六十余州を巡国す。
正応2年8月23日、当寺において遷化す。
また元禄8年5月11日、44世の遊行上人尊通(そんつう)も当院において寂す。中租上人の側に葬る。




真光寺(しんこうじ) 神戸市兵庫区松原通1-1-62
時宗、西月山。開山、法道。大化元年(645)開創。健治2年(1276)おどり念仏でしられる時宗の開祖・一遍が中興。
時宗の三檀林(学問所)の1つ。伏見天皇から真光寺の山号を賜る。


本堂  本尊:阿弥陀如来


光明殿


薬師堂


熊野神社


 鐘楼


一遍上人御廟(いっぺんしょうにんごびょう)






一遍上人五輪塔


正応2年(1289)51歳で亡くなった上人の遺体は、観音堂の前で荼毘に付された。 「没後の事は、我が門弟におきては葬礼の儀式をととのふべからず。野に捨ててけだものにほどこすべし」との遺言を残すも、弟子の他阿上人が五輪石塔を建てて廟所とされた。
阪神・淡路大震災により倒壊し、中から骨灰が現れたという。
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