千年家(せんねんや) 同じ壮衡原村箱木氏の家をいふ。近年まで染文に、大同二年の文字ありしが今なし。
この家の柱を見るに、古代の物にして、およそ千年以前の体なり。
また同じ谷東小部にも千年屋とてあり。これも古代の家なりごしの谷に際らず、すべて山中には所々にあり。これより西山陰道の山中谷々の里には古き家屋多し。
       谷陰に平家の人や菊の花     田 福



箱木家住宅(はこぎけじゅうたく)  神戸市北区山田町衝原字道南1-4
箱木家の古文書によれば平安初期の806(大同元)年に建てられたと記録にあるため"千年家"と呼ばれているが、呑吐ダム建設の際の1977(昭和52)年から2年がかりの移築の際の解体調査で、14世紀頃(鎌倉~南北朝)の我が国最古の民家である「母屋」と江戸中期に改築した「離れ」を江戸時代末期に一つの棟に収めたものであることが判明した。 箱木家は衝原氏と称し藤原鎌足(解説)の末裔といわれるこの地方の土豪。戦国時代、別所家の家臣である衝原与一左衛門藤豊は三木城で羽柴秀吉の軍勢と戦い討ち死に。三木城落城後、箱木家は衝原で代々庄屋を勤めた。 写真正面が14世紀頃に建てられたと考えられている母屋、向って左側の建物が江戸時代中期に改築された離れで、江戸末期には母屋と離れの間に2室を建てこんで一つ棟に納めていたが、移築に当って元通り母屋と離れを分離して復元再築された。

国指定重要文化財 (昭和42年6月15日指定) 一般には「箱木千年家」の名で知られる。

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