如意山妙法寺(みよいさんみようほうじ) 妙法寺村にあり。新鞍馬寺といふ。真言宗。坊舎七宇。
本尊毘抄門天 行基の作。長六尺ばかり。
奥院 連台寺と号す。薬師堂 同所にあり。阿弥陀堂あり。
当寺初めは聖武帝の勅願所にして、伽藍巍々とし坊舎三十七字あり。今二王門・中門・諸堂の礎所々に見えたり。年歳累りて荒廃に及びし所、承和六年定範上人重興しけり。この上人は、もと雲州島根の人にて、十五歳の頃、洛陽東寺の実恵大師に仕へ、剃髪染衣し、高野山に登り、三密瑜伽の奥旨を明らめ、止観に通じ、洛北鞍馬寺に籠つて示現を蒙り、この地に頽廃せる伽藍を造営し、子院三十七坊を建てて、西の方に観音蛍あり。北の嶺に梵天の森あり。遠近の貴賎渇仰せずといふ事なし。大旱の時、雨を乞ふに験あり。また高倉院の時、福原遷都長久の御祈祷あって、新鞍馬寺と詔を蒙る。その後、高師直同帥泰軍馬の岐とせしゆゑ、また大いに破壊して、やうやく今のごとく再営あり。
什宝に称徳帝宸翰の経を蔵む。
また当村の入口に妙光寺といふ寺あり。むかしは妙法寺の子院にてありしが、今禅宗済家と成り黄檗泒霓雲和尚を中祖とす。





妙法寺(みょうほうじ) 神戸市須磨区妙法寺毘沙門山1286
高野山真言宗 如意山または毘沙門山 
天平10年(738)行基の開基。聖武天皇・高倉天皇の勅願所で、七堂伽藍37坊があった。
承和6年(839)定範上人再興。
平清盛の福原遷都では乾にあたることから、新鞍馬として王城鎮護の霊場とし、寺領1000石を寄進している。
観応年中に足利尊氏の軍が西国に敗退した時、高師直らの兵火により全焼。その後復興。
大正3年に再興。明治35年9月に摂取院を、明治40年12月には円蔵院を合併す。


本堂 本尊:木造十一面観音・毘沙門天立像(重要文化財) 


大日堂 本尊:大日如来


鐘楼


不動明王 護摩壇


五社神社(ごしゃじんじゃ) 
天平10年(738)3月、行基が毘沙門山妙法寺開創の節、鎮守として創祀。
五社権現と称し、神仏習合で、吉野蔵王権現・熊野権現・白山権現・十禅寺権現・祇園牛頭天王を祀った。
現在の祭神は、天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神。
明治6年8月村社


石造宝篋印塔(ほうきょういんとう) 兵庫県指定重要文化財(昭和46年4月1日指定)
応安三年庚戍二月廿三日 願主沙弥浄照
南北朝時代の応安3年(1370)浄照が建立。ここより北の車村への道筋に建てられていた。




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