この社には次のような伝説があります。 その伝説の一つが謡曲「絃上」(玄象)でうたい語られ広く世に知られております「平安期の末期、太政大臣藤原師長(もろなが)は琵琶の名人であったが、さらに奥義を極めたいと入唐の忠を持って、この須磨の地まで来ました。 ところが村上天皇と梨壺(なしつぼね)女御の神霊が現れて、琵琶の妙手を授けたので、入唐を思いとどまり帰京した。」と言われており、一説に「龍宮から師長に捧げた琵琶の名器〈獅子丸〉を埋めた場所である。」とも伝えられています。 いずれにしても、村上天皇にまつわる伝説からこの地に村上天皇を祭り、神社としたものと思われます。 また、この地はもと前方後円墳があり、その形が琵琶に似ているのでこのような伝説に結びついたとも言われています。 帝社への参道の左角に古い標石が建っており、それには正面に「村上帝琵琶達人師長」と刻まれています。 毎年10月1日には例祭が行われます。 平成22年7月 神戸市教育委員会 須磨区役所 |
謡曲「絃上」(玄象) と 村上帝社 琵琶の名手太政大臣・藤原師長は唐(中国)に渡りなおも奥義を極めたいと願い、都を出立して須磨の汐汲みの老夫婦の塩屋に宿る。 夫婦の奏でる秘曲「越天楽」の「感涙もこぼれ嬰児も躍るばかり」の神技に感じ入った師長は渡唐を思い留まった。この老夫婦は、名器「絃上」の所持者村上天皇の梨壷の女御が渡唐を止めさせる為に師長の前に現れた精霊であった。やがて村上天皇が本体を現し、竜神を呼んで今ひとつの名器獅子丸の琵琶を持参せしめて師長に授け、喜びの舞をなし給うという国威宣揚を意図して描かれた曲である。 村上帝社は摂関政治を抑え、文化の向上や倹約を旨とされて「天略の治」として名高い社である。師長の名器獅子丸を埋めた琵琶塚は、もと境内にあったが、今は線路で二分されている。 謡曲史跡保存会 |
HOME > 巻之八 八部郡 |