越前三位通盛墓(えちぜんさんいみちもりのはか) 知章墓の北東に、松四、五本塚印にあり。 
『盛衰記』に云ふ、越前三位通盛は湊川の端を下りにおちられしが、木村源三成綱と組んで討たれたまひし由見えたり。
また、『平家物語』に、通盛卿は山の手の大将軍にておはしけるが、その勢みな落ち失せて討死せられしと見ゆ。小宰相局の段に、君は今朝湊川にて討たれさせたまひぬと告げたる事見えたり。
『摂津志』に日く「平通盛墓、佐比江堤の東北にあり」と書す。その所を尋ぬるにさだかならず。
予これを按ずるに、ただ『平家物語』の文によりてかかれたりと思ふ。初めにいふごとく、むかしは湊川、山の麓をめぐりて屁池村の東に流れて海に入れり。しかれば、通盛卿の墓も佐比江にはあらず、この所なるべし。すべてむかしを考へざれは、地理の事は著しかたかるべし。  






願成寺(がんじょうじ)  神戸市兵庫区松本通2-4-11
願成寺はその昔、烏原村の住蓮坂の下、現在の烏原貯水池のほとりに建てられ、上野山と呼ばれていた。 天平年間(729〜49)に、諸国を行脚していた僧、行基により、この地に聖徳太子の作といわれる観音菩薩立像が安置され、観音寺と呼ばれる。
寺は衰退し、平家の栄華を見る頃、法然上人の弟子・住蓮坊がこの地を訪れ、無量寿佛を安置し「願成寺」と称し、平清盛が京都五山に因んで福原五山の二番に位置づけられる。寛永年間に焼失し、明治37年、現在の兵庫区松本通へと移転。


小宰相の局の墓・平通盛の墓
小宰相の乳母呉葉が兄住蓮の住持するこの寺に入寺し、通盛と小宰相を弔ったという。
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