松風村雨旧址(まつかぜむらさめのきゅうし) 西須磨の東端、街道の上にあり。
この地、行平卿謫居の地といふ。すなはち、菖蒲小路といふ字今にあり。
諺に云ふ、松風・村雨の二人は、すまの北なる太井畑の賤女なりしが、行平に召され、ここに給仕しけるとぞ。
近き頃まで辻堂なるものあり、土人これを村雨堂といふ。今はしるしに古松一株あり。






松風村雨堂(まつかぜむらさめどう) 神戸市須磨区離宮前町1-2
松風村雨堂(神戸市地域史跡)
松風村雨堂は、謡曲「松風」を初め、多くの文学に取り上げられた松風、村雨の二人の姉妹にまつわるお堂で、次のような伝説によって広く世に知られています。
『平安時代前期(9世紀中頃)在原行平が、須磨の地で寂しく暮らしていた時、潮汲みに通っていた多井畑の村長の娘である姉妹に出会った。その時、松林を一陣の風が吹きぬけ、娘たちの頬を通り過ぎ、にわか雨が黒髪にふりかかった。そこで行平は娘たちに、「松風」「村雨」の名を与え、仕えさせた。 やがて許されて、行平は都に帰ることになり、小倉百人一首で有名な
 立ちわかれいなばの山の峯におふる 松としきかば今かへりこむ
の歌を添え、姉妹への形見として、かたわらの松の木に烏帽子、狩衣を掛け遺し、都に旅立った。
姉妹は、行平の住居の傍らに庵を結び、観世音菩薩を信仰し行平の無事を祈っていたが、後に多井畑に戻り世を送った。』
 「古今和歌集」にある
  田むらの御時に、事にあたちてつのくにのすまといふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人につかはしける
  わくらばに問ふ人あらばすまのうらに もしほたれつゝわぶとこたへよ
という歌から、行平が須磨にわび住まいをしたことは事実と思われます。
現在の観音堂は庵の跡ともいわれており、伝説にちなんで、稲葉町、衣掛町、松風町、村雨町、行平町などの町名がつけられました。
  平成20年3月     神戸市教育委員会  須磨区役所  西須磨協議会  松風村雨堂保存会


観音堂

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