松風村雨堂(神戸市地域史跡) 松風村雨堂は、謡曲「松風」を初め、多くの文学に取り上げられた松風、村雨の二人の姉妹にまつわるお堂で、次のような伝説によって広く世に知られています。 『平安時代前期(9世紀中頃)在原行平が、須磨の地で寂しく暮らしていた時、潮汲みに通っていた多井畑の村長の娘である姉妹に出会った。その時、松林を一陣の風が吹きぬけ、娘たちの頬を通り過ぎ、にわか雨が黒髪にふりかかった。そこで行平は娘たちに、「松風」「村雨」の名を与え、仕えさせた。 やがて許されて、行平は都に帰ることになり、小倉百人一首で有名な 立ちわかれいなばの山の峯におふる 松としきかば今かへりこむ の歌を添え、姉妹への形見として、かたわらの松の木に烏帽子、狩衣を掛け遺し、都に旅立った。 姉妹は、行平の住居の傍らに庵を結び、観世音菩薩を信仰し行平の無事を祈っていたが、後に多井畑に戻り世を送った。』 「古今和歌集」にある 田むらの御時に、事にあたちてつのくにのすまといふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人につかはしける わくらばに問ふ人あらばすまのうらに もしほたれつゝわぶとこたへよ という歌から、行平が須磨にわび住まいをしたことは事実と思われます。 現在の観音堂は庵の跡ともいわれており、伝説にちなんで、稲葉町、衣掛町、松風町、村雨町、行平町などの町名がつけられました。 平成20年3月 神戸市教育委員会 須磨区役所 西須磨協議会 松風村雨堂保存会 |
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