平相国清盛塔(へいしょうこくきよもりのとう) 真光寺の南にあり。
十三層の石塔婆なり。高さ二丈六尺。勒して曰く、弘安九年二月云々。
これは、清盛薨せられて後、百余年を歴て、北条七代最勝園寺平貞時、この石塔婆を造立す。
『本朝編年集成』に曰く
「仁安三年十一月、清盛剃髪。法名、浄海。養和元年閏二月四日、西八条館において薨死せらる。年六十四。
翌日煙となし、遺骨を円実法眼この福原に持ち来たり、ここに蔵む」


清盛塚(きよもりつか) 神戸市兵庫区切戸町1    標柱 昭和4年12月建之



清盛塚十三重の塔

もとは南西11mの地にあるも、大正11年(1922)市電松原線の道路拡張工事の為、現在地に移転。 高さ8.5mの十三重石塔は長らく、清盛の遺骨を埋葬した墓と思われていたが、移転時の調査で弘安9年(1286)建立の供養塔であることが判明した。



清盛銅像 

神戸開港百年祭を記念して
開港の租 平清盛の功績を
顕彰するためここにその像を
建立する
昭和43年10月    
神戸市長 原口忠次郎    
制作者 柳原義達
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