萱御所旧蹟(かやのごしょのきゅうせき) 清盛塔の南、田の中に石標あり。
むかしこの辺すべて平相国別荘の地なり。ここに方三間の萱葺の御所をしつらひ、後白河法皇を押籠め奉る。また楼御所(ろうのごしょ)ともいふ。相伝ふ、治承4年7月14日、文覚法師忍んで伊豆国の配所より登り、この所にて院宣を申しうけて、源頼朝公に平家追討を進めしとぞ。
院宜に日く(『平家物語hに出づ、
頃年より以降、平氏王化を蔑如して、政道を憚ること無し。仏法を破滅し、法を乱さんと欲す。それ我が国は神国なり。宗廟相並んで、神徳惟れ新たなり。ゆゑに朝廷開基の後、数千余歳の間、帝位を傾け国家を危ぶめんと欲する者、皆もつて敗北せずといふこと無し。しかるときはすなはち、かつ神道の冥助に任せ、かつ勅宣の旨趣を守りて、早く平氏の一類を亡ぼして朝家の怨敵を退けよ。譜代相伝の兵略を継ぎ、累祖奉公の忠勤を抽きんでて、身を立て家を興すべし。者は院宣かくのごとし、よって執達件のごとし。
治承四年七月十四日    前右兵衛督光能
謹上
前右兵衛佐殿



萱の御所跡(かやのごしょあと)  神戸市兵庫区今出在家町4 薬仙寺境内
もとは寺の北にあるも、昭和28年の運河拡張工事の際、水中に没したため現在地に移した。

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