河原兄弟墓(かはらきょうだいのはか) 神戸村、田圃の中にあり。
寿永三年二月七日、蒲冠者範頼(かばのかんじゃのりより)の軍将、武蔵国の住人河原太郎私高直(きさいちのたかなほ)、同じき次郎盛直(もりなお)、生田の先陣ぞやと名乗りかけ名乗りかけ、弓杖ついて逆茂木を登り越えて、平家の陣中に入り、大いに戦ひ、敵数多討ち取りしが、平家の軍卒備中国住人直名辺(まなべ)四郎が矢に中って、兄弟ともに討死しける事、『平家物語』に見えたり。『東鑑』には、弟河原次郎忠家とあり。源家静謐の後、右大将頼朝公よりここに河原兄弟の菩提寺を建てられけり。天正年中の兵乱に喪ぶ。
今は塚上に松のみ迫れり。


河原兄弟塚(かわはらきょうだいつか) 三宮神社境内 神戸市中央区三宮町2-4 


河原霊社(かわられいしゃ) 
祭神:河原太郎高直(兄:かわらたろうたかなお)・次郎盛直(弟:じろうもりなお)
一ノ谷合戦生田の森で一番乗りの功名を立て、討死をした武蔵国の河原兄弟の塚と馬塚がこの附近にあったが、神戸開港で失われる。大正11年4月三宮町3丁目の有志が顕彰のため河原霊社を建立し、昭和46年(1971)に境内に遷した。平成7年の震災で壊滅するも、平成10年1月復興。
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