菅神飛松(かんじんとびまつ)板宿村の山頭にあり。菅公筑紫へ趣きたまふ時、都よりここまで飛来しけるとぞ。
傍に天満宮・八幡宮の社あり。この地の生土神なり。




板宿八幡神社(いたうあどはちまんじんじゃ) 神戸市須磨区板宿町3-15-26
菅原道真が九州へ左遷された時の宿泊の跡を保存するため、永延元年(987)1月、菅公と武神八幡大神を鎮守神として創紀。
上野山に鎮座する。


明治40年1月26日、明神町の無格社池ノ宮神社(大日?女)を合祀した。
この池ノ宮神社に関し、『武庫郡誌』には「神功皇后征韓の時、此神(?売江沼河姫命を祀れりと云ふ。)の誨により、敏馬山の木を伐って船を造り給ひ、凱旋の時、長樂浜(現今神戸市野田付近)より上陸し、一先イタヰドリ浜(現今鷹取工場の東にイタヰドリ原神出等の名を残せり)に仮の社を作りて神体を納め給ひしが、後之を奈義(池宮ノ神社の在りし板宿字奈義)に遷座し奉ると云ふ。」と記し、此由緒ある古社の他社に合併せられたるは遺憾と云ふ可きなり、と嘆いている。


拝殿 


本殿 祭神:誉田別尊・菅原道真・大日?貴命


本殿右手 元稲荷大神・船津加稲荷大神・稲荷大神・祇園大神(金毘羅大権現)


本殿左手 不明・川上大神・宝殿大神・萱戸大神
川上大明神は嘉永7年(1854)の大飢饉で代官川上金吾助が年貢の減免を行い、村が救われたことから池ノ宮神社に祀ったという(武井家資料より)。


稲荷神社  船津加稲荷大神・富成稲荷大神・元延稲荷大神


飛松天神社


901年(昌泰4年)、菅原道真公が筑紫へ左遷された際に、この地に立ち寄られ、里人が板の宿をつくり道真公にお休み頂いたことからこの地を「板宿」と呼ばれる由縁となりました。 道真公は、京で松・梅・桜を大切にされ、「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松の つれなかるらむ」と詠まれました。すると一夜にしてこの松が飛んできたと伝えられています。 「飛松」は高さ30mもあったとされ、紀淡海峡を渡る船人はこの「飛松」を目標にして針路を定めていました(「西摂大観」より)。 その後「飛松」は、大きな樹木ゆえに数回の落雷にあい、残念ながら大正時代に枯死し、現在は切り株が天神者に奉斎され、「学問の神 飛松天神」として崇敬されています。


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