福原古都(ふくはらのこと) 生田宮村・北野・神戸・二ツ茶屋・走水・平野・中宮・宇治野・花熊・荒田・石井・夢野・烏原・坂本・今和田新田・兵庫等を、すべて福原荘といふ。
『夫木』  湊川夕汐みちて風寒み古き邦に千鳥鳴くなり  雅 有
平相国清盛、外戚として権を擅にせし頃、平安城よりここにしばらく都を遷されしを、福原の都と申す。
安徳帝三歳にてまします時、治承四年六月二日福原へ行幸有りて、平相国の舎弟池大納言頼盛卿の山荘を皇居として、渡御なし奉る。頼盛、その賞として正二位にしたまふ。九条殿の御子右大将良通卿、加階越えられさせたまひけり。摂禄の臣の御子息、凡人の次男に加階越えられたまふ事、これ始めなりとぞ。 その年十二月二日、にはかに都還り有りし事『平家物語』『盛衰記』に見えたり。






塞神の松跡の碑 
祇園遺跡(ぎおんいせき) 神戸市兵庫区平野上祇園町周辺
治承4年(1180),平清盛によって福原遷都が強行され、わずか半年ではありましたが、福原荘・和田荘と呼ばれたこの地に都がおかかれていました。平清盛の邸宅はここ平野にあり、平野殿と呼ばれていたことが記録の上で確認できます。 大輪田泊や福原荘・和田荘を見晴らす、ここ平野の地が福原京の中心地域でした。1993年、国道438号線拡幅整備工事に先立つ発掘調査で、この公園のすぐ西側から、底に石を敷く池がある貴族の邸宅の庭園が見つかりました。出土した宋からの輸入陶磁器や多量の土器などから、帰属の生活がうかがわれます。ただし、この調査ではそのごく一部が見つかったにすぎず、池の大部分や御殿などは今もこの地下に眠っています。


楠・荒田町遺跡(くすのき あらたちょういせき) 神戸市中央区楠町6 神戸大学医学部附属病院 駐車場附近
神戸大学医学部附属病院のある神戸市中央区楠町から兵庫区荒田町にかけての範囲に広がっています。『平家物語』には「頼盛の山庄あら田」とあり、200m西の荒田八幡神社が清盛の弟である大納言頼盛の館跡伝承地であるところから、福原京(福原行宮)の有力な候補地の一つとなっています。 昭和56・57年に病院構内で神戸大学が行った発掘調査で、平安時代の2本並行する壕の一部と大型の建物跡が発見され、福原京に関係する遺跡ではないかと注目を集めました。 その後平成15年に病院の立体駐車場建設に伴い、兵庫県教育委員会が調査した結果、壕の続きと、得意な建物跡が見つかり、重要な遺跡であることが裏付けられました。

HOME > 巻之八 八部郡
inserted by FC2 system