大光山福海禅寺(たいこうさんふくかいぜんじ)当津柳原町にあり。禅宗済家。
本尊釈迦仏 仏殿に安ず。運慶の作。座像。長三尺ばかり。
開基在菴円有和尚。建武年中、将軍尊氏公、祝国安民の為に草創したまふ所なり。開基円有和尚は、大栄経山無準和尚の法子兀菴禅師四世の孫にして、道高く徳広く、衆の為に宗とする所の人なり。貞和五年霜月二十一日、偈を書して世を辞す。その偈に日く、 八十四年祖仏を笑倒して、一句行に臨んで寒嵐払々たり。 筆を擲げて逝す。寿八十四。
京兆、天竜石室玖和尚、その頂相に讃して日く、 仏鑑の嫡裔兀菴の真孫、枝葉を掃除して廊に根源を徹す。名刹を権輿し、刀斧の痕無し。茆草の一茎、主、元法身に在り。堅固にして鉄渾崙たり。
延文の秋、尊氏公、鎮西を征し、この津に陣し、ここに謁し、自書の額を賜ふ。福海興国禅寺と染筆す。
その後、三代相国義満公も、また手づから山寺の号を書す。今に至って存在す。
すでにして、嘉吉の年間寺火あって、諸堂灰燼となる。それより後、今のごとくわづかに建営あるなり。  





福海寺(ふくかいじ)  神戸市兵庫区西柳原町10-10
臨済宗南禅寺派 大光山 康永3年(1344)、足利尊氏が開いた。
明治の初めまで、堀と堤で囲まれた福海寺境内は枡形を構成し兵庫津(兵庫城)の柳原総門の防備の役割をしていた。
柳原大黒天として信仰されている。


雲會堂 本尊:釈迦如来。




平清盛公遺愛   時雨の松石碑  大海元梁和尚 書
平清盛公遺愛の時雨の松は神戸市兵庫区三川口町にあり、兵庫最初の庚申堂と共に平清盛公の信仰を受けていたが、太平洋戦争の火災で枯れてしまい、残っていた切り株も阪神大震災で無くなった。石碑のみが残る。

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