願成寺(がんじようじ) 住蓮坂鳥原村にあり。
法然上人の御弟子住蓮坊ここにしばらく同居し 、平通盛(みちもり)卿夫婦の菩祝を弔はれし所なり。
小宰相局塔(こざいしようのつぼねのとう)境内にあり。通盛卿の室にして、藤原刑部卿範賢( のりかた)の女なり。
通盛一谷にて討たれたまふを欺き、つひに寿永三年二月十四日、この沖に て船より身を投げ、空しくなりたまふ。
その由縁の住連坊、この庵に通盛夫婦の跡を弔ひ、塔を追悼しける所なり。この地を住蓮坂と、今において呼びけるなり。



願成寺(がんじょうじ) 神戸市兵庫区松本通2-4-11
浄土宗、上野山。
天平年中(729〜748)行基が烏原村に観世音を安置して観音寺と号した。
平安後期、衰退していたのを、法然上人の弟子住蓮坊が中興して無量寿仏を安置し、願成寺と称した。
住蓮は東大寺の実遍の子で、のち鳥羽上皇の官女、松虫・鈴虫を尼にしたことで上皇の怒りをかい、世に有名な承元の法難で、住連は安楽と共に近江で斬罪に処せられ、弟子たちが住蓮の首をこの寺内に葬ったといわれている。
またその首を鳥がくわえて運んできたので、もと上野といったところを鳥原というようになったとも伝えている。
明治33年(1900年)〜明治39年(1906年)に上水道の貯水池となり、全村が立ち退き、寺も現在地へ移転。


開山住蓮上人の塔


小宰相の局の墓・平通盛の墓
小宰相の乳母呉葉が兄住蓮の住持するこの寺に入寺し、通盛と小宰相を弔ったという。
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