内裏蹟(だいりあと) 和田の中にあり。今に方四町の築地の跡遺れり。
安徳帝、治承四年六月福原の新都に遷幸あつて、初めは池大納言頼盛の山荘を行宮としたまひ、同月九日この皇居に遷りたまふ事、『平家物語』に見えたり。
今この古跡の字を水の子といふ。







雪御所遺跡(ゆきごしょいせき) 神戸市兵庫区雪御所町2-1  湊山小学校
平安時代末期、平家一門が日宋貿易の港である大輪田泊を見晴らす福原の地を領有し、ここに多くの邸宅を構えた。
治承4(1180」年、政権の強化を図った平清盛が孫の安徳天皇を奉じて都造りをはかったのが「福原遷都」である。
雪見御所の北に安徳天皇が「福原遷都」の半年を過ごした「本皇居」=「平野殿」のあったこと、また清盛邸の近隣に子息宗盛邸のあった可能性が当寺の貴族の日記の記述などから知られる。
発掘調査によっても雪御所町の東にあたる上祇園町の祇園遺跡で平安時代末期の貴族の邸宅あとの庭園の存在が確認されている。古記録と発掘調査の成果から、この地に「福原京」の時期を中心とする平家の邸宅がいくつも存在することを推測することができる。

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