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滝山古城((たきやまこじょう)布引滝のうへにあり。天正中、松永久秀ここに拠る。

滝山城跡(たきやましろあと)
滝山城がいつ築城されたのかは、はっきりしない。最も古い記録は正慶2年(1333)の『正慶乱離志』であり、赤松円心則正が護良親王の令旨をうけて挙兵した時のことが記されている。
このように滝山城は鎌倉末には存在していたようで、西方の再度山城、東方の麻耶山城を両翼におき、海辺に近く大阪湾を往来するあらゆる舟を監視できたこの城は戦略上ふたつとない拠点であり、南北朝の動乱期から戦国時代に至るまで、再三戦火の舞台となっている。
戦国時代末期には織田信長の摂津進行に伴い、摂津守護となった荒木村重の領有するところとなったが、荒木村重の謀反により、天正7年(1579)信長の部将によって攻略され、石垣などは兵庫城築城の用材として運び去られたと言われている。
こうして滝山城は約250年の長きにわたる歴史をとじたのであった。








尾根沿いの東曲輪群
滝山城は標高約300mの尾根を使った典型的な山城であり、東西約600m南北約400mという広い城域を持ち、ほぼ完全な形で残されている。
ハイキングコースに沿って次々と現われる小さな平地は廓(くるわ)跡であり、木の柵や塀、矢倉などの建物を設けて城を守った。また谷部を切って堀切を設けており地形の急峻さと合わせて非常に堅固な城であったと言われている。


史蹟 滝山城阯  昭和13年3月 神戸市観光課  中央曲輪群 標高316.5m 本丸


城山  布引貯水池より

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