HOME > 巻之七 菟原郡


釈慶日法師古蹟(しやくのけいじつほうしのこせき) 釈書に摂州菟原郡とあり。その古跡詳らかならす。
 『元亨釈書』日く、
釈慶日法師は平安城の人なり。叡嶽に居し講学を勤む。その外、顕密内外の典に捗る。
晩年に本山を出でて摂州菟原郡に住し、法華を誦し密供を修す。方丈の草庵の外別館なし。経論・花器の外余具なし。持斎を欠かず、押酒を食らはず、あるいは雨夜に出行すれば、前に炬を持する人あり。後に笠を捧ぐる者あり。遠く人これを望み見る。走り近づきてこれを見るに、炬笠なし。また、遠く避くれは炬笠さきのごとし。あるいは、?紳車馬の客、草庵に到つて駢?す。村人近く見れば、また人馬なし。遠く聞けば、喧雑の声もとのごとし。 溘然として時に病無く、法華を誦し定印を組んで逝去す。忽然として、百千人の音ありて悲号鳴咽す。村民俺所に往いてこれを見るに、哭声を聞くといへどもその形を見ず。時の人みな日く、炬笠および哭泣の人はみな、これ天神諸聖の冥感なりと。尊信せずといふ事なし。晋の仏図法師は鉢中に水を盛り、香を焼いて呪を修すれば、須臾にして鉢中に青蓮華を生ず。これらの奇特なるぺし。

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