HOME > 巻之七 菟原郡




猿丸太夫古墳(さるまるたいふのこふん) 東芦屋の西芦屋川の傍にあり。高さ三尺ばかり、幅二尺ばかり。
御影石にして中に六字名号、左に猿丸、右に太夫と鐫りたり。近年、この辺りより掘り出だせしとぞ。
また西芦屋里に猿丸基吉兵衛と名乗る民家一戸あり。いづれも旧記なし。その証、分明ならず。
  『摂津志』に日く「芦屋里在原氏別荘の宅址を土人呼んで、猿丸太夫が旧第なり」とぞ。これまた詳らかならず。
  『帝王正統録』云ふ、
    弓削王あるいは猿丸太夫といふ。厩戸皇子の後なり云々。
  『扶桑隠逸伝』云ふ、
    猿丸太夫は、探草の人、今に至って土人探草を名づけて猿丸郷といふ。いまだいづれの代の人といふ事を詳らかにせず。
 ある人の日く、元慶の間の人なり。また日く、聖徳太子の孫、弓削王なりとぞ。その是非を知らず、云々。
  鴨長明、『方丈記」に日く「田上川をわたりて、猿丸太夫が墓を尋ぬ」と書けり。
 また、かの「奥山に紅葉」の詠は、山州深輩山なり。今に奥山と称す。「都名所図会』に見えたり。




猿丸家之墓 芦屋市東芦屋町5



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