布曳滝(ぬのびきのたき) 砂山にあり。
雌滝・雄滝のニ流ありてあひ距つ事三町ぱかり、ともに岩面を流れ落つる事白布を曝ずに似たり。
雄飛泉(おだき)の高さニ十四丈、五段に折りて落つる。雌曝泉(めだき)の高さ十八丈、同じく布を曳くに異ならず。
地勝景偉衆郡最一の美観なり。飛泉の東に一つの小丘あり。これを望滝台といふ。飛泉の水源、武庫山より流れて末は生田川と成る。
『栄花物語』布引滝巻
その頃、との、ぬのびきの滝御らんじにおはします。道のほどいとをかしう、さまざまの狩装束などいふかたなし。
業平がいひつづけたるやうにぞありけむかし。
さらしけんかひもあるかな山姫の尋ねてきつるぬの引の滝 | くわんぱくどの |
水の色ただ白雪とみゆるかなたれさらしけん布引の滝 | 皇后宮太夫 顕房 |
めづらしき雲井はるかにみゆるかなよに流れたる布曳の滝 | 皇太后宮太夫 祐家 |
雲井よりとどろきおつる滝つせはただ白糸のたえぬなりけり | 皇后宮権太夫 経信 |
水上の空にみゆれば白雲のだつにまがへるぬのびきのたき | 三位中将 師通 |
立ち帰り生田の杜のいくたびもみるともあかじ布引の滝 | 権中将 雅実 |
よとともにこや山姫のさらす成る白玉われぬ布引のたき | 中将 公実 |
水上は霧立ちこめてみえねども音ぞ空なるぬのびきの滝 | 播磨守為家 |
いくひろとしらまほしきは山姫のはるかにへたる布引の滝 | いへつな |
『伊勢物語』云ふ、
このをとこなま宮づかへしければ、それをたよりにて、ゑふのすけどもあつまりきにけり。このをとこのこのかみもゑふのかみなりけり。そのいへのまへの海のほとりにあそぴありきて、いざ、この山のかみにあるといふ布引の滝見にのぼらんといひて、のぼりて見るに、その滝、ものよりことなり。(李白が魔山濠布の詩に、飛流直下三千尺、疑ふらくはこれ、銀河の九天より落つるかと。これ文勢なり)。長さ二十丈、ひろさ五丈ばかりなる石のおもてに、しらぎぬにいはをつつめらんやうになんありける。さるたきのかみに、わらうだのおほきさして、さし出でたる石あり。その石のうへにはしりかかる水は、せうかうし、くりのおほきさにてこぼれおつ。そこなる人にみな滝の歌よます。かのゑふのかみまづよむ、
芦のやのいさごの山のそのかみにのぼりて見れぱ布引の滝
我が世をばけふかあすかとまつかひのなみだの滝といづれたかけん
あるじ、つぎによむ。
ぬきみだる人こそあるししら玉のまなくもちるか袖のせぱきに
とよめりけれぱ、かたへの人、わらふことにやありけん、この歌にめでてやみにけり。
『続古』 | 山人の衣なるらし白妙の月にさらせる布ぴきのたぎ | 後京極摂政 |
『千載』 | 水の色のただ白雲とみゆるかな誰さらしけんぬの引の滝 | 六条右大臣 |
『新古今』 | 久方の天津乙女の夏衣雲井にさらす布びきの滝 | 有家 |
『詞花』 |
雲井よりつらぬきかくる白玉をたれ布引の滝といひけん |
隆季 |
『夫木』 | 布引の滝の白糸夏くれぱ絶えずぞ人の山路たづぬる | 定家 |
『平治物語』云く、
仁安三年七月七日、津国布引滝見んとて、清盛入道浄海をはじめとして平氏の人人下られけるに、難波六郎経房ばかり、夢見悪しき事ありとて、ともせざりしかば、傍輩ども、弓矢取る身の、何条夢見・物いみなどいふ、さるほめたる事やある、とわらひけれぱ、経房も、げにもと思ひてはしり下り、夢さめて参りたる由申せば、中々興にて、諸人滝を眺めて感を催す折節、天にはかに曇り、おびただしく霹靂鳴って、人々興をさます処に、難波六郎申しけるは、われ恐怖する事これなり。先年悪源太最後の言に、つひには雷となって蹴殺さんずるぞとて、白眼し眼つねに見えて六ケ敷に、かの人雷となりたりと夢に見しぞとよ。ただいま、手鞠ほどの物、巽の方より飛びつるは、面々は見たまはぬか。それこそ義平の霊魂よ。一定かへりさまに経房にかからんと覚ゆるぞ。さありとも太刀は抜きてん物をと、いひも果てぬに、霹靂 夥しくて、経房が首に黒雲覆ふとぞ見えしが、微塵になって死ににけり。太刀はぬきたりけるが、鐔もとまで反りかへりたりしを、結縁の為に、寺造りの釘になん寄せられぬ。おそろしなんども愚かなり。入道は、弘法大師の御筆を守りに掛けられたりしを、恟ろしさの余り首に懸けながら、うち震ひうち震ひぞせられける。まことに守りの徳にや、近づくやうに見えしが、つひに空へぞ昇りける。
(下略)
新神戸駅(しんこうべえき) 神戸市中央区加納町1-3-1
昭和47年(1972)3月15日開業の駅舎の下が滝への入口となります。
案内図
駅を潜ると、すぐに整備された遊歩道になります。
砂子橋(いさごばし)
布引谷から北野・奥平野浄水場への8インチ・24インチの導水管を渡すために明治33年に建設されたレンガ積水路橋。
雌滝取水堰堤(めんだきしゅすいえんてい)(重文) 明治33年
アーチ状石積堰堤及び円筒形石積取水井屋
アーチ式コンクリート造堰堤(堤長19.3m・堤高7.7m)には3個の制水弁があり、右手の供台(きょうだい)との間に24インチのパイプが設置さて、下流の砂子橋を通って奥平野浄水場に送られています。
供台上のドーム屋根の石積取水井屋は装飾性が高い珍しい建造物です。
雌滝(めんたき) 高さ19m
鼓滝(つつみがだき) 高さ8m
夫婦滝(めおとだき)雄滝の手前 高さ9m
雄滝(おんたき) 高さ43m
|
|
猿のかずら橋 2006年に祖谷のかずら橋に似せてツルで装飾。 |
谷川橋(たにがわばし) (重文)大正初期 |
五本松かくれ滝(ごほんまつかくれたき) 平成19年6月にダムの放水路としてできた滝の愛称を公募にて命名。
布引五本松堰堤(ぬのびきごほんまつえんてい) 神戸市中央区葺合町山郡
通称:布引ダム 明治33年3月 佐野藤次郎設計 高さ:33.3m・長さ:110.3m・貯水量:60万m3・最大水深:30.2m
布引貯水池
神戸市の水道は、明治33年(1900)に給水を始めました。この時、神戸市内に給水されたのが布引貯水池の水です。
布引ダムは日本最古の重力式コンクリートダムで、平成18年(2006)国重要文化財の指定を受けました。