HOME > 巻之七 菟原郡


在原業平別荘古蹟(ありはらのなりひらべつそうのこせき)芦屋里の中なる芦屋川の傍にあり。今、田圃の字となれり。
あひ伝ふ、業平朝臣は、阿保親王第五の子、正三位行中納言行平卿の弟なり。母公は、桓武帝の皇女、伊登内親王なり。この朝臣は体貌閑麗なり。和歌、歌仙のその一にして、代々の勅撰に秀歌多し。貞観四年三月、従五位上を授かり、同五年二月に左兵衛佐にて、久しくこれに任じ、それより左近衛権少将に遷り、右馬頭になり、累ねて従四位下を拝し、元慶元年に右近衛権中将とし、翌年、相模権守に美濃権守を兼ねて、同四年五月二十八日卒す。寿齢五十六(『河海抄』に日く「業平朝臣は仙術を得たまひて、吉野の奥、天川より昇天したまふ」とあり。さだかならず。 『伊勢物語』云ふ、
  むかしをとこ、津の国、むばらのこはり、あLやのさとにしるよしして、いきてすみけり。
『闕疑抄』云ふ、「菟原郡芦屋里は、業平朝臣領知なるペし」。
 昔の歌に(また『新古今』に出づ)、
  あしのやのなだのしはやきいとまなみつげのをぐLもささずきにけり     業平朝臣
とよみける。そこの里をよみける。ここをなんあしやのなだとはいひける。『新古今』には業平の歌とす。
称名院殿の御説に、「むかしの歌とは遠きむかしに非ず。業平の自記にて、その始めよみたるといふを、むかしと書きたまふなり」と見えたり。
『古今』序
  ありはらのなりひらは、そのこころあまりて、ことばたらず。しぼめる花の色なうてにはひのこれるがごとし。
   月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして    業平朝臣
   おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれは人のおいとなるもの     同




在原業平別荘跡 芦屋市業平町



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