HOME > 巻之七 菟原郡


摩耶古城(まやのこじよう) 「正慶二年、赤松円心ここに寵る。六波羅勢五千余騎、同じ二月十一日、摩耶城の南の麓、求塚八幡林よりぞ攻め寄せける。赤松入道、謀をめぐらして敵を七曲の嶮き所におびき寄せ、一ノ尾、二ノ尾より討手山で散々に戦ひけれは、六波羅勢おほいに打ち負け敗北して、城の麓より武庫川の西の端れまで、道三里が間、人馬上が上に重なり死して行人路を去りあへず向ふ時、七千余騎と聞こえし六渡羅勢、わづかに千騎にだにもたらで引き返しける」と『太平記』に書けり。
城跡一ノ尾・二ノ尾の跡いま存す。

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