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保久良神社(ほくらのじんじや) 北畑村にあり。『延喜式』に出づ。今、牛頭天王と称す。本荘九村の産土神とす。
毎年六月七日より、神輿を社前に飾り、十四日に至るまで、村民集まりて祭祀を行ふ。京都祇園会と同時なり。









保久良神社(ほくらじんじゃ) 神戸市東灘区本山町北畑680
創立年暦不詳なれども境内外地は上代祖神の御霊が鎮座せる岩境の遺跡地として、其れらより発見されつつある石器時代の石斧、石剣、石鉋丁、石鏃、青銅器時代の銅戈(重美)弥生式土器が前期中期後記に亘り多数出土し、西暦紀元前2、3世紀頃より西暦起源3世紀頃のものにして、そのいずれもが儀礼的なものたることの考証せられてあるを見ればその頃にはもはやこの霊地に祭祀せられたる証拠なり。
また当社は始めに椎根津彦命の子孫たる大和連倉人水守(西暦769)等が祭祀したるとも神功皇后(西暦101)三韓の役の戦利武器を此の社地に収蔵し奉りしより起因するとも又社名の火倉、火の山、烽火場の地より起りしとんも称せられる。
尚祝部土器、玻瑠玉の発見せられてあり平安時代の延喜式(西暦927)社格社名を載せ奉りてあり。
鎌倉中期の青銅製懸仏の発見されており摂津志には建長2年(西暦1250)重修の棟札の所持せる事を記載する等上代より祭祀の存続せる事実を実証する資料となれり。
天王宮とも称せられ中古本荘近古本庄の庄の氏神にして工業商業はもとより多くの崇敬の中心となる。
当社の位置は(海抜185m)後に六甲の翆巒を負い前には茅渟の海を一望に見渡す最景勝地にして社頭に燈明台ありて毎夜北畑天王講の人々交替して御神火を点し近海を渡る船舶の航路安全を祈る灘の一つ火として崇拝せられ古来より航海者等の一針路となる。
これは祖神の代表的事蹟たる海路嚮導の行為とを考え合わすとき氏子人の祖神の御遺徳を追慕する行事にして上代より現在に至るまで長年月の間一日として絶やすことなく奉仕し居れり。



拝殿



本殿 祭神:須佐之男命・大歳御祖命・大国主命・椎根津彦命



本殿 祭神:須佐之男命・大歳御祖命・大国主命・椎根津彦命



立岩(たていわ)
「磐座」古代祭祀遺蹟地
「ほくら」の境内には、大きな岩がたくさんあります。
この岩は、「立岩」といわれ、神様に祈るために人々が立て起こした祈願岩の一つです。
社務所の裏の大きな岩は、「神生岩」(かみなりいわ)と呼ばれております。
神社の建物の裏の岩群を中心に境内にかけ、大きな円形状に大岩が配置されております。このように配置された岩群は「磐座」(いわくら)と呼ばれ「岩境」(いわさか)ともいわれます。
昔の人は、大きな岩に常世の國より神様をお招きして、農業生産、諸業繁栄、村落安全を祈願いたしました。
このように古代人等が祈願した神聖な場所ですから、現代では「古代祭祀遺蹟地」と呼ばれ、祈る時に使用された「つぼ・かめ・さら」などの土器破片や「やじり・おの」の石器も多数出土しております。それらは「弥生式」の中期の時代のものと認定され、紀元前200年前頃より。この「ほくら」では、古代人が神様を祭祀していた一つの「証拠」であります。
また、ほくらの「磐座」は昔大和の国、現奈良県桜井市の大神神社の背後の三輪山頂にある「磐座」と同じ時期のものといわれております。


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