HOME > 巻之七 菟原郡




阿保親王古墳(あぼしんおうのこふん) 打出村上方、二町ばかりにあり。側に小塚六つあり。
そもそも、この親王は、平城天皇第三の皇子、御母は葛井氏なり。素性謙退にして、智才は文武を兼ねたり。
また努力あり、弦歌に妙なり。天長のはじめ、恩詔ありて、兵部卿弾正尹、上野・上総の大守たり。
薧時、春秋五十一。贈一品を授けらる。





阿保親王墓(あぼしんのうのはか)  芦屋市翠ケ丘町11 
阿保親王塚
平城天皇の皇子、阿保親王(792~842)がまつられており、親王は深く打出浜の眺望を愛で、ここに別邸
を営んで風月を友とせられたという。
周囲350mの陵域は旧打出村の自然美を伝え、塚は古代の円墳で径約36m、高さ3mあり周濠をもつ。
伊勢物語「芦屋の段」でゆかりのある在原業平は親王の御子である。
拝所の正面にある4対の石燈籠(1対は阪神大震災により減失)は長州藩主毛利候の寄進といわれる。
親王塚は、現在宮内庁で管理されており、毎年12月の命日には、正辰祭が行われている。  
                                              芦屋市・芦屋市観光協会













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