琴浦神祠(ことうらのやしろ) 東新田村街道の北側にあり、この地の生土神とす。例祭十月五日、祭神融左大臣といふ。
京師六条河原院にこの浦よりも日毎に潮くまし運びし旧蹟なるゆゑ、かの大臣をここに祭るなるべし。
この所海浜にして南は紀の路、和泉の浦々、阿波鳴門まで見えわたりて風景斜ならず、異なる勝地なればとて異浦とも呼ぶ。
    『風雅』     ととうらに朽ちて捨てたるあま小船わが方に引く波も有りけり     後光明照院
    『続千』     はつ音をばわが方になき子規ことうらにまつ人はありとも     読人しらず
    『夫木』     松の風波のしらべる琴の浦は鴎の遊ぶ所なりけり       同









琴浦神社(ことうらじんじゃ) 尼崎市琴浦町21
当社は、『攝陽群談』『伊勢物語』などに記されていて、その名を知られる。
嵯峨天皇の第12皇子で平安前期の左大臣である源融公は、琴が浦で日々汲ませた潮を邸宅の京都六条の河原院に運ばさせ、塩を焼かせた由緒により御祭神として祀られている。
『攝陽群談』には、「琴浦社武庫郡東新田村に在り。源融公此塩浜に潮を引き、なづけて琴浦の古跡となる。貞観年中に融公の社とし、村民琴浦明神と称す。」とある。



拝殿



本殿 祭神:融大臣


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