唐船淵(とうせんがふち) 池田猪名川の中にあり。
応神天皇三年、呉織・穴織の二女来朝 してこの水門に着岸す。むかしこの辺西海につづきてつねに通船あり。
後世江は埋れて艮村 川圃となる。しかれどもこの淵は唐船の名今に遺れり。





伝承 唐船が淵(とうせんがふち) 池田市史跡名勝天然記念物(昭和57年3月27日指定)
『日本書紀』によると、応神天皇37年、阿知使主(あちのおみ)・都加使主(つかのおみ)をくれに遣わして縫工女(きぬぬひめ)を求め、呉の王から呉織・穴織らを与えられ、同41年、阿知使主らが摂津国武庫に帰ってきたとされている。
池田では、この縫工女たちが池田の地に来て機織りをはじめたとする「クレハトリ・アヤハトリ伝承』が生まれ、彼女たちを乗せた船が着いたと伝えられた所を「唐船が淵」とよぶようになった。
「唐船が淵」は、江戸時代の『摂陽群談』(1701)や『摂津名所図会』(1798)などにも記載されていることから、そのころには広く人々に知られていたことがうかがえ、史実にもとづくものではないが、今日まで語り継がれている。
  平成10年3月2日  池田市教育委員会



猪名川(いながわ)中橋東詰北側 
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