垂水神社(たるみのかみのやしろ) 垂水村上方にあり。
『延喜式』曰く「名神大。月次、新嘗。祈雨祭および八十島祭に子す。その八十島の時、祝に布二端を腸ふ」云々。例祭六月三十日・九月晦日。 祭神(豊城入彦命、崇神天皇の皇子なり。あるが云ふ、延喜式内常陸国薬師神社と同体にして、大己貴命・少彦名命を祭れるなりとぞ。
『万葉』 命さち久しきよしも石そそぐ垂水の水をむすびてのみつ
『散木』 折りのぼる人のためとやここにしも跡をとるみの緋の玉垣 俊 頼
『続日本後記』日く、 天長八年九月、従五位下を授く。
『三代実録』日く、 貞観元年正月、従四位下勲八等を授く。元慶元年六月、幣を奉りて廿雨を祈る。
『姓氏録』云ふ、 右京皇別に日く、豊城入彦命四世の孫、賀表真稚命の後なり。六世の孫、阿利真公、孝元天皇の御世、天下早魃して河井涸れ絶えぬ。時に阿利真公、高樋を造作してもつて水を四山に盛る。これに基きて水を宮内に通ぜしめ、御膳を供し奉る。
天皇その功を美して、すなはち垂水の公の姓を賜ひて、垂水の神社を掌らしむ。
垂水 社頭にあり。清冷甘味、諸病を治す。すべてこの辺に霊泉多し。
長柄橋柱 拝殿にあり。長さ二尺七寸、巾一尺三寸、厚さ六寸四分。神崎川より出でしとなり。
また当村垂水氏の家にもあり。長さ五尺、巾二尺三寸、表に文字あり。大明神宝殿奉納元禄三庚午年云々。
また『古今集』貫之の和歌あり。煤気黒みて文字分明ならず。
垂水神社(たるみ) 吹田市垂水町1-24-6
摂津国豊島郡の名神大社。垂水の地を開拓した崇神天皇の第一皇子豊城入彦命を その子孫が祖神として祀った。
二の鳥居
拝殿 昭和49年(1974)再建。
本殿 祭神:豐城入彦命 (とよぎいりひこ)・大己貴命(おおなむち)・少彦名命(すくなひこ)
玉之井の井戸 新撰姓氏録右京皇別によれば「孝徳天皇の御宇、天下旱魃し河井涸絶せるに際し豊城入彦命の数世の御孫阿利貞公高樋をつくりて垂水基岡の水を長柄豊崎宮に通じ御膳に供すれば天皇その功を賞し垂水公の姓を賜いて本社を掌らしめ給えり」とある。これよりこの地方を垂水とよぶようになる。かつては摂津の薬水ともいわれていた。
皇太社(こうたい)
祭神:伊佐那岐命(いざなぎ)
併佐那美命(いざなみ)
天照大神(あまてらす)
祓戸社(はらえど)
祭神:息吹戸主命(いぶきどぬし)
瀬織津比売命(せおりつひめ)
速開津比売命(はやあきつひめ)
速佐須良比売命(はやさすらいひめ)
稲生社(いなり)
祭神:金山比古命(かなやまひこ)
金山比売命(かなやまひめ)
豊宇気姫命(とようけひめ)
事代主命(ことしろぬし)
楠明神社(くす)
祭神:大綿津見命(おおわたつみ)
市杵島姫神(いちきしまひめ)
万葉歌碑 『万葉集』志貴皇子の歌
石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
垂水の滝
垂水神社の境内西に数箇所湧き出ている。
不動堂 境内の西端に祀られています。