菅原峰嗣山荘(すがはらみねつぐのさんしよう) 中野島村にあり。初めは姓を出雲といふ。摂津権守となり、本郡山荘に退居して、薬を製し、姓を養ひ、流俗に交はらず、十年の後姓を菅原と改む。土師出雲の同祖によってなり。かつて詔を蒙りて、請名医とともに金蘭方を撰定す。また針艾の方を加ふ。後進の傭、今に至って妙医と称す。
『三代実録』日く、
 貞観十二年三月、峯嗣、淳和院に侍し、太后に奉るに御薬湯方の事をもってす。
 これに由りて遷りて播磨介と為る。都近きをもつてまたその身を優にす。仁寿元年、
 従五位上を加ふ。天安二年、典薬頭と為る。貞観五年、自ら老を謝し、出でて摂津
 権守と為る。豊島郡の山荘に退居して、薬を灌ぎ性を養ひて流俗に交はらず。十年、
 出雲の姓を改めて、菅原と為る、土師・出雲、同祖なるをもってなり。卒る時年七
 十八。峯嗣、処治を堕さず必ず効あり。嘗て勅を奉じて諸名医と共に、金蘭方を撰
 み定む。また針艾の加はる所、方多し。これを外に注し、後進の備、今に至りて妙
 なりと称すと云々。
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