五月山(さつきやま) 池田の北方にあり。
『摂津志』日く、実は佐伯山なり。今訛って五 月山といふ。またある書に日く、佐伯山は川辺郡猪名寺村にありとぞ。この所に川なし。
愚 按ずるに五月山と称する事年久しくして古詠多し。五月山、佐伯山一所二名なるペし。契沖 は仮名のつとへとまがへたるなりといへり。
『拾遺』 五月山木の下闇にともす火は鹿の立つとのしるべなりけり 貫 之
『万』 五月山はなたち花にほととぎすかくらふときにあへるきみかも 読人しらず
『新古』 五月山卯の花月夜子規きけどもあかずまたなかんかも 読人しらず
佐伯山(さへきやま) 五月山の旧名なるべし。
『日本紀』日く、
仁徳天皇二十八年、猪名県の佐伯部、苞苴(おほむべ)を献る。開巻日く、仁賢天皇五年 春二月、普く国都に散れ亡ぐる佐伯部を求めて、佐伯部の仲子の後をもって、佐伯部の造と す。同巻日く、崇峻天皇一年、佐伯の連丹経手(にふて)云々。
同巻日く、斎明天皇二年、 佐伯部の連たぐ穐云々。
『万葉』 さへき山うの花もたし哀れわがこをしとりては花よりぬかも 読人しらず
五月山(さつきやま)
五月山公園 池田市綾羽2
桜・ツツジ・紅葉の名所として知られる。
旌忠記念碑(せいちゅうきねんひ) 明治34年4月3日建之
忠魂碑 昭和3年8月24日建之
観音立像
この尊像は当地に示現せられた大慈悲の慈母観世音菩薩のみ姿でもあります 観世音は宇宙をつつむ大慈悲心を備えられたものでありますから世の母親が慈母観音のみ心を念じ そのみ心を巳の心とするならば苦悩深く道に迷ふ青少年は即座に本当の自己にめざめ自ら救われるものと信じます
発願人武田義三 後世の精神教化の礎にしようとして 東京樽谷清太郎氏に委嘱 謹作し奉り当地に建立したものであります
因みにこの事業の実現し得たのは 小林こう女史の篤志によるものであります
詠歌 義三
みちわけて じぼかんのんや さつきやま ははこ まゐらん のちのよのため
昭和36年11月吉日 願主 建設者 武田義三 協賛 池田市佛教会 |