箕面滝(みのおのたき) 本社より十八町奥にあり。
巌頭より飛瀉して、石面を走り落つる事、すべて十六丈、滝壷より泡を飛ばす事、珠をちらすごとく・霧を噴く事、雲のごとし。日光これを燭してさいさん目を奪ふ。天下賞して滝の第二とす。滝の上に碧潭あり。これを竜穴といふ。村民旱天に遇ふ時、ここに祈ればたちまち膏雨降るなりとぞ。
 『黄木』  わすれては雨かとぞ思ふ滝の音にみのおの山の名をやからまし  津守国助
  同    ながれてと思ふこころの深きにぞなにかみのおの滝となるべき   後九条
三鈷松 滝の上iこあり。三葉にしてしかもその色四時蒼々として艶しく、滝水日影に映ずる時は光あり。ゆゑに一名三光の松とも。また役行者葛城の峯より三鈷を投げたまふ時、この松にかかりしよりこの名あり。竜穴 三鮎松の側にあり。岩聞方三丈ばかり。深淵にして蒼色なり。その深き事はかりがたし。奥飛泉 大滝より六町ばかり奥にあり。飛流八丈ばかり。大滝を雌滝といひ、これを雄滝といふ。座禅石 奥の滝の上にあり。行者ここにて練行したまふ。錫杖石 同所にあり。行者ここに錫杖を立てたまふ所なり。白竜石 同所にあり。当山弁財天自竜に乗じ降臨したまふ。その白竜化して石と成る。『神社考』に見えたり。
天上嶽 当山の絶頂をいふ。役行者ここより昇天したまふと云ふ。唐人戻巌 滝道にあり。大岩にして阪路に遮る。むかし来朝の唐使この滝此類なきとて登山し、嶮路とて駕を戻されしよりこの名とす。詳らかならず。
それこの一山は丹楓多くして、秋の末は三千の樹々錦繍のごとく、滝の流は紅を濯ぎ、樵夫は錦着て家に還り、山僧のここらを染めぬも紅の色艶しく、風のかけたるしがらみは筍錦を布くがごとし。立田川の秋の色、高雄の山の夕日かげ、通天橋もここに畳みで、京師・浪花の騒人霜葉を踏んで競ひ来る。長月より時雨する頃の賑ひ楚岸もここにありとぞ思はれける。
そもそもこの山は役健婆塞の開基にして、白雉年中の創建なり。東西の山峯我々として両部の曼荼羅を表し、南北の翠巒燦々として不二の尊体を顕す。滝水の長流万頃の田園を潤す。かつて飛泉の巌石を見るに、左右高く峙つて滝頭もまたしかなり。南方はるかに晴れて流れ滔々とめぐる。その形箕の面のごとし。ゆゑに名とす。いにしへはこの地に諸常巍々たり。



一の橋


滝道延命阿弥陀


基準点 名勝 箕面山


唐人戻岩(とうじんもどりいわ) 滝道にあり。大岩にして阪路に遮る。
むかし来朝の唐使この滝比類なきとて登山し、嶮路とて駕を戻されしよりこの名とす。


頼山陽碑文

萬珠濺沫碎秋暉 
仰視懸泉劃翠微 
山風作意爭氣勢 
横吹紅葉満前飛


文政12年(1829)10月23日、頼山陽は母を伴い、
田能村竹田、後藤松陰、坂上桐陰らと来遊し作詩した。
昭和15年建立。



滝見橋


箕面滝 箕面公園のシンボル、高さ33mの滝も、後背地の開発の影響で、水量が減ってきたとのこと。
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