大沢山久安寺安養院(だいたくさんきゅうあんじあんよういん) 伏尾村にあり。古義真言 宗。坊舎八区。
本尊十一面観世音 定朝の作、長一尺八寸。 開山行基僧正。中興賢実上人。
護摩堂 不動尊を安置。阿弥陀堂 阿弥陀如来、三十三所観音像を安す。御影堂 弘法大師像を安置す。鎮守白山権現 当山地主神なり。薬師堂 瑠璃光仏を安置す。荒神社 当山伽藍神とす。
朱雀池 本堂の前にあり。四神相応の地といふよりこの名あり。善女竜王社 朱雀池の中にあり。弁財天社 朱雀池の中島にあり。祭神倉稲 魂神。恒例として毎年大歳の夜よりこの社の池水を結ひ、一七日加持修行あって後、牛王宝 印を押して正月七日富の法会あり。この日近隣の村民群参して福財を祈るなり。
二王門 金剛力士の二天を安ず。運慶が作なり。勅額久安寺 近衛帝の宸翰なり。後水尾帝の口宣あり。 逆川 二王門の前の川をいふ。由縁左に記す。千代橋 逆川の橋なり。勅号にして久安の二字より出づる名なり。
観音石 本殿の西にあり。保延六年講堂回縁の時、火中を飛び出で、 この石上にて光明を放ちたまふ。ゆゑに一名光明石とも云ふ。
車滝 当山の東二町ばかりに あり。由致寺説に詳らかなり。玄武嶽 当山の北をいふ。天満宮千代橋の側にあり。当山 の守護神とす。またこの丘山を基原山とも正覚山とも云ふ。伏尾村の生土押なり。例祭九月 二十一日。小鶴庭 当山坊中にあり。名木奇石多し。豊田秀吉公詣したまふ時、ここに宿し たまふとぞ。庭中の形容真妙にして、庭作りの規範とす。また東の山をこの庭中に取り入れて風景佳なり。菩提寺 千代橋の南にあり。当山の子院なり。本尊地蔵菩薩慈恩寺当山 上り八町乾の方に為り。今毘沙門天を安ず。運慶の作なり。また大黒天・弁財天を安ず。む かしはこの三天を別に三箇の院に安置す。今久安寿の奥院と呼ぶ。毎年正月十五日ここにて 富法会ありて牛王の神札を出だす。細河谷六ヶ村の支配なり。寺尾千軒 門前の伏尾村の一名なり。むかし僧房広大にして舎屋千戸に及べり。これに上って地名とす。
連埋滝 車滝の水上たり。滝の流二水に分かれて、雌滝・雄滝と成り、また末にて落ち合ふて一流となるゆゑこの名あり。安谷螢見 この地螢多し。夏の夕暮星のごとく散乱して水面を照らす。近隣ここに来たつて興を催す。また易注とはむかし出水洪河と成り、行基菩薩これを越ゆる事叶ひ難きゆゑ、呪文を修したまへば、川水開けて安々と渡りたまふゆゑ名とせり。水槽清水当寺の山内にあり。むかし城中の用水なり。今城が原といふ。寒暑に増減なし。また霖雨にも濁らず。愛宕詞 当寺の山中にあり。毎年七月二十四日夜、灯籠を捧げて群をなせり。
それ当山は古刹にして草創より年歳久遠なり。春は一山の桜花発いて遠近の騒客ここに来たる。また秋の末も紅葉の錦繍風に飛んで紅の浪を掲ぐる。あるは安渓の螢、小鶴の庭の雪の曙いづれも風光の美足らずといふ事なし。
そもそもこの寺は菩薩行基の開基にして観世音の霊場なり。初めは安養院と号す。聖武帝神亀二年、行基猪名川の辺にて一人の老翁に遇ふ。 手には銀弓・金箭を持って云ふ、われ師を待つ事年あり。これより東に観自在の霊園あり、 早く精舎を営みたまはば群生に益ある事多し。すなはちその他に至るに山下に大河あって捗る事能はず。行基密かに神咒を修す。水たちまち逆流して陸地と成る。ゆゑに今逆川といふ 。すでに山頭に登れば林巒幽邃にして東に長流滔々たり。南に朱雀池あり。北の霊峰は玄武嶽といふ。常に五雲を起こす。誠にこれ四神相応の霊区なり。すなはち梵刹創立の思ひ発く 。老翁の日く、時来たって聖師に逢ふてわが願ひ満足せり。誠は白山妙理権現なり。まさに 仏法を守護すべしと云ひ巳つて見えず。時に異香山に満ち、紫雲たなびきて、天楽遥かに鳴り、沢中より光を放ち、閻浮檀金(えんぶだごん)所造の千手大悲の尊像、その長一寸八歩 。行基大いに喜んで僧伽梨をもってこれを奉じ、すでに一宇を構へて安置し精修勤行す、時に天皇その霊瑞を聞きたまひて詔して尊像を金?に入れて拝覧、すなはち精藍を創してこれを 安じ、その左右に不動・多門天および二十八部衆を置く。また朱雀池の西畔に三宝荒神を構 へて伽藍神とす。金堂には薬師を安じ、講堂を設けて毘慮遮那仏を置ゑ、その傍に五大尊を 安ず。多宝塔には五仏および仏舎利を蔵む。その外食堂・鐘楼・僧房若干あり。楼門の西に 一院を構へて無量寿仏を安じ、号けて安養寺と云ふ。また千代橋の南に菩提寺を建てて地蔵尊を安じ、その左右に冥官十王の像を置く。また鎮守の神祠・経蔵を儲け、車滝は初め白山権現遊化の所なり。滝の音車の軋る響に同じ。ゆゑにこの名あり。連理滝は二流に分かれてまた一流に逢ふ。また山頂に北天王・弁財天・大黒天を置きて慈恩寺と片す。
山中にむかし 大伽藍あり。今神社遣れり(末に見えたり)。 天長中弘法大師錫を駐めて密教を修し、般若経を書写して災疫を撰ひ、あるいは善女竜王を 請じて旱荒を消し、あるいは両部の曼荼羅を写す。時に異人来たつて法要を詢ふとぞ。後一条院治安三年勅して、仏工定朝に一刀三礼の長一尺八寸千手大悲の像を作らしめ、初めの金 像を胸中に蔵む。その霊応日々に新たなり。
保延六年の冬、火に厄して本常・講堂ことごとく灰燼となる。大衆焔を凌ぎて本殿に入るに本尊見えず。すでに夜に至って西山の岩上に光怪ありて大悲の尊像厳然たり。近衛院この霊験を叡聞ありて、久安元年勅して重興に及びことに宸書の額を賜ひ、久安寺と号す。晨鐘夕梵の響き林岳に応じて一方の名刹なり。その時の寺職賢実上人は不測の人なり。道高く徳広し。その姓氏をしる人なし。その術神のごとし。この上人に詔ありて宮中に入り法を説かしむ。竜顔悦喜ありて宸書を腸ふ。これより先鳥羽院の皇后御座の時、賢実上人安平を祈る。加持その功有って皇子生ます。これすなはち 第八の皇子、永治元年に即位したまふ近衛帝なり。御産安泰をもって時の人不死王村と称す。後世今の文字伏尾に改めたり。ゆゑに賢実上人を当山の中祖となす事、詳らかに寺記に見えたり。


久安寺(きゅうあんじ) 池田市伏尾町697
高野山真言宗 大澤山 神亀2年(725)行基開創、大沢山安養院と総称していたが、天長5年(828)空海が錫を留めて真言宗の霊場と定めた。
後一条天皇の治安3年(1023)仏工定朝(じょうちょう)が千手観音像を彫み、本尊とした。
保延6年(1140)金堂・講堂を焼失。久安元年(1145)近衛天皇の勅命により賢実上人が起工し、塔中支坊四九院を造営し、久安寺と号す国家鎮護の勅願寺。


楼門 室町時代初期再建。 昭和25年重要文化財指定。

 
吽形像 254cm 室町初期     阿形像 280cm 鎌倉時代     様式・制作年が左右異なる。


旧小阪院薬医門


本堂 本尊:千首観音(秘仏)   成就院跡に昭和に再建。


薬師堂


御影堂 遍照殿                            
天長年間(827〜834)弘法大師の草庵があった所 弘法大師・行基菩薩・堅実上人を祀る。

  光明泉


三十三所堂  奥に阿弥陀堂


鐘堂 開運殿


虚空園 バン宇池

 
仏塔                                       涅槃像 長さ6.4m


地蔵堂 昭和50年建立。

  
三光社    狛犬 天保12年         日天(太陽)・月天(月)・妙見尊星王(北極星)三光神を豊臣秀吉が祀る。
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